【箱根保勝会の活動】

 大正三年(一九一四)、菊地郡長が発起人となり箱根保勝会が作られた。
 会長は足利下郡長、各町村長は支部長となって、名所旧蹟の保護や鉱泉の保護を目的として発足した。官主導の会で、当時の行政の権力や予算の力に支えられ活発に活動した様子が新聞記事より推察される。
 大正七年(一九一八)十月十一日の『横浜貿易新聞』によれば、

   大正六年度実施事業(略記)
  ・決算額 八六八円
  ・湖畔賽ノ河原の仏体、地蔵の散在せるものを一ヶ所にとりまとめ安置する
  ・精進ヶ池畔の石仏群付近の除草
  ・鞍掛山への登山道修繕
  ・高山植物で有名な神山、駒ヶ岳登山道の除草、修理
  ・鷹の巣山にあずまや一棟建設
  ・仙石-湖尻間の道路修理
  ・乙女峠-長尾間の山道修理
  ・湯坂道修理
  ・阿弥陀寺より塔之峯への道開さく
  ・吉野桜 つつじ三〇〇本植栽風致を添える
  ・取締りのために数名の巡視人を置き、野火と伐採を防止

 大正九年(一九二〇)七月二十四日付記事によれば、

    箱根山の高山植物と青年会の保護計画
   箱根山中の名所旧蹟は箱根保勝会にて保護を加へ且つ一般遊覧客の便をはかりつつあるも、箱根山
  特有の植物其の他箱根独特の植物は採取を放任しあるため漸く根絶のおそれあり、しかも、土地不案
  内の初登山者に特有の植物の所在すら不明にして採取不能なるをもって、箱根山中各青年団有志は箱
  根山岳会を組織し、日本山岳会幹事農学博士辻村伊助氏等の専門家に乞い植物に指示標を設置し一見
  明瞭ならしめ、尚学生其の他の団体登山は申出次第役員を派して登山の案内をなし、名所旧蹟伝説等
  を紹介し、箱根の真価を紹介するにつとむべく目下計画中なり

 また同紙大正九年十一月十日の紙面には、

    箱根保勝会 没風流 を取締るため 管理人を置く
   箱根保勝会は、昨今全山の紅葉見頃なるにより、観楓客激増し、中には楓樹を折り、甚だしきは根
  こぎにして持帰る者あるため、同会の事業方針により今回各地に林野視廻管理人を置きて此等没風流
  漢を取締ることとし、左記数名に管理を嘱託したるが、尚十二月下旬の落葉時より山中に火を放ちて
  枯草を焼く者あり、往々植林風致林に延焼せる前例あるより、引続き野火の取締りを励行し万一遊覧
  客若しくは村民中制止を肯ぜざる者は遠慮なく告発する方針なりと。
  △湯本村区域 佐須寅吉 長□佐吉
  △温泉村区域 宮之下消防組員、大平台消防組員
  △宮城野村区域 宮城野青年団
  △仙石原村区域 仙石原青年団
  △箱根組合区域 大葉草平 市川濱治

 このように見てくると、大正時代は全山の各町村が区域内の名勝旧蹟高山植物等の紹介、道路の開削、修理、除草等に努め観光客の誘致をはかる一方、盗み採りに対する巡視等を実施していたことがわかる。
 そして青年団や消防団員等の若い層の人たちがその活動の推進力となっていた様子がうかがわれる。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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