【バーニーの碑】

 日本を、そして箱根を愛し、元箱根に移り住んでいたイギリス人貿易商、シリル・モンタギュー・バーニーが、美しい日本の国土と優れた国民性を讃えて建てた石碑が元箱根の旧街道杉並木にある。
 碑文は次のとおりである。

 西暦千七百二十七年 中御門天皇 享保十二年四月二十一日 倫敦に於て出版せられたるケンピア氏著
日本史序文に曰く
 本書は隆盛にして強大なる帝国の歴史なり本書は勇敢にして不屈なる国民の記録なり其人民は謙譲勤勉
敦厚にして其の拠れる地は天恵に富めり
 新旧両街道の会合する地点に立つ人よ此光栄ある祖国をば更に美しく尊くして卿等の子孫に伝えられよ
                                         -箱根にて-
   大正十一年吉日
                              於扇港       無外居士書
                             (神戸港のこと)(バーニーの筆名か)

 ドイツ人の博物学者ケンペル(一六五一~一七一六)は一六九〇年長崎出島のオランダ商館付医師として来日し、一六九二年まで滞在したが、この間二回江戸まで往復し、箱根越えをしている。
 帰国後、日本の自然やヨーロッパに類を見ない歴史、文化、国民性等をまとめ、見聞録『廻国奇観』を世に出した。その後、イギリス人の生物学者サー・ハンス・スローン卿はケンペルの未発表の資料を手に入れ整理して英訳、『日本史』として出版した(一七二七年)。この本は鎖国中の日本を世界に紹介したもので多くの人々に読まれた。
 バーニーもこの本を読んだ大の親日家で、当時の安藤好之輔箱根町長と交友が深く、元箱根の別荘に安藤の協力を得てこの碑を立て日本人に呼びかけたのである。
 太平洋戦争中、帰国したバーニーの邸は、敵国人の所有地として国に接収され、後、大場金太郎に払下げられたが、戦争が終わりバーニーが再来日するに及び急きょ国が買戻してバーニーに返還した。その後バーニーから松下朝次郎が譲り受け現在に至った。
 碑の位置が交差点に面していて車の交通量が多く碑の前に立つことができないため昭和五十一年(一九七六)、箱根町は松下から碑の寄贈を受け、付近の旧東街道の杉並木中に移設し、旧道を歩く人たちの目にふれやすくしたものである。
 昭和五十年(一九七五)五月七日、来日されたイギリスのエリザベス女王は、宮中豊明殿における歓迎晩さん会でのご挨拶の中で「一七二七年にロンドンで出版された日本史の序文で日本人は勇敢な国民であると述べ、『人々は礼儀正しく、勤勉、人情に厚く、商業が栄え、天然の美に恵まれた国土を持つ国』であると書いています。……」と述べられ、「日本のこのような特質にひかれ、明治以来多くのイギリス人が日本を訪れるようになりました」と付け加えられた。
                             (日本経済新聞 昭和五〇・八・十二)
 バーニーが特に愛した箱根の美しさを護ることは、彼がその国際的感覚から讃えた〝光栄ある祖国〟を持つ日本人の心の豊かさを守ることでもあるといえる。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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