【耕牧舎と仙石原の開発】

 明治十三年(一八八〇)、渋沢栄一、益田孝らは仙石原の広大な草原を牧場経営の適地と考え、江戸時代以来村民の共有秣場の原野を神奈川県が牧畜試験地として買収してあった七三ヘクタール余の払下げを受け、渋沢の従弟須永伝蔵を支配人として酪農経営をはじめた。
 仙石原は酸性の火山灰土のやせ地で、冷涼多雨な気象条件下農場経営には多くの障害があったが、宮之下富士屋ホテルを中心に来遊する外国人も多くなり、沼津に出来た皇太子殿下の御用邸牛乳引受等をはじめ乳製品の販売も漸次伸長し、東京に四か所の支店をはじめ、ほかにも六か所の支舎を持つまでに業績をあげ、牧場には牛二〇〇頭、馬八〇頭が飼育されるまでに至った。
 しかし明治三十八年(一九〇五)、支配人須永伝蔵が病死するに及び、代わって経営する適任者がなく事業は中止されてしまった。
 耕牧舎は事業の廃止後、約三五〇ヘクタールを仙石原村に寄付、約九〇ヘクタールは宮内庁の北海道の山林と交換した後売却等資産の整理をした後、大正時代を経過、昭和になってから残った土地約三〇〇ヘクタールを土台に観光事業に転換し、仙石原地所会社、温泉供給株式会社等を設立、温泉荘の温泉付分譲等を行い、戦後は箱根湖畔パブリックゴルフ場等多角的に観光事業を経営して今日に至っている。
 仙石原村に寄付された土地は国土計画興業株式会社の高原分譲地や大箱根カントリークラブや、富士屋ホテル仙石ゴルフコース等漸次民間に払下げられ、また終戦前後の食料不足時代開墾された土地は農地法により耕作者に売却され特に昭和三十年、町村合併直前には村民の共有地を処分して合併しようという考えから多くの村有地が民間に払下げられた。結局耕牧舎の牧場は時代の変化と共に大部分観光施設、別荘・寮等の敷地に転換して今日に至っている。

カテゴリー: 4.大規模開発の時代(昭和に入って)   パーマリンク

※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

コメントは受け付けていません。