【国立公園計画の見直し】

 自然公園の歴史は、一八七二年にアメリカがイエローストーン国立公園を設立したのが始まりである。我が国では大正十一年(一九二二)、国立公園設定に関する調査が開始され、箱根でも昭和二年(一九二七)八月二十日、国立公園指定出願陳情団が旅館組合役員で組織され、内務省へ出向いている。さらに昭和五年五月十三日、国立公園協会発会式が湯本小学校において開催され、副会長に小川仙二氏が就任している。
 このような気運は全国的に盛り上がり、昭和六年に「国立公園法」が制定されたのを契機として箱根振興会は、国立公園指定の運動を起こしている。
 昭和九年三月、瀬戸内海、雲仙、霧島国立公園が最初に指定され、箱根は昭和十一年二月一日「富士箱根国立公園」として念願の指定を受けた。
 昭和三十二年、国立公園法は改正されて自然公園法となり、「すぐれた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もって国民の保健、休養及び教化に資することを目的とする」と第一条にうたい、区域内を特別保護地区と特別地域(第一種、第二種、第三種)及び普通地域の五つの地域に分けて保護と利用を図ることになった。
 しかし、折からの所得倍増や日本列島改造計画といった積極的な国策に乗った自然破壊の嵐の前に厚生省は全くなす術を持たなかった。環境庁が新に発足し、初代の大石武一長官が登場して漸く国が動きはじめた。
 従来は「特別地域」と「普通地域」の二地種だけであったが、戦後の急激な、また無秩序な開発と、それに伴う山頂にまで及ぶ自然の破壊、一方自然環境保全に対する国民的要請の高まり等のため、特に箱根は首都に近い世界的観光地として箱根の自然の価値を高く評価する立場から、箱根公園計画の見直しが昭和四十年代に着手され、昭和五十年(一九七五)五月一日「自然公園法」による新しい地域の指定が告示された。
 特別保護地区は、国立公園の中でも最も重要な地域で、貴重な動植物が繁殖し、景観上も大切なところである。原則として自然を変えることはできない。落葉一枚とるにしても環境庁長官の許可が必要である。
 金時山、神山、下二子山、屏風山は箱根の特色ある植物が繁茂し、野鳥その他動植物の生態系のうえからも、また景観上も最重要地点として、さらに仙石原湿原植物群落の保護のため周辺の湿原地帯を、また湯本温泉街の背景で箱根の玄関に当たる湯坂山の暖帯性植生地域の六か所が特別保護地区に指定された。
 第一種特別地域は「特保」に次いで重要な地域で、厳重に自然状態が維持されるところである。したがって公共性をもった行為以外は認められない地域で、外輪山の稜線付近、中央火口丘の中腹以上、宮之下付近の早川の対岸等が指定されている。「特保」とともに私有地の固定資産税は免税になる。
 第二種特別地域は、最も利用度の高い地区で、開発が調整され、景観や自然環境に悪影響を及ぼすおそれのある行為は制限される。中腹以下の斜面及び平地がこの地域に入る。
 第三種の特別地域は、公園の利用の中心から遠景になる地域で、景観的にあまり影響のない第一次産業や人工林の伐採等には特に制限はない。しかし、大規模な開発は制限される。
 普通地域は利用の中心になっている地域であり、大部分の住民が生活する地域でもある。
 箱根では特に都市計画法を導入し、生活する住民の立場で観光都市のあり方を追求している。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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