【原始の箱根山】

 戦後箱根芦之湯朝日・弁天山から黒曜石製石器が発見され、話題となった。その後の調査によりこれら石器は、いまから約一万二、三〇〇〇年前の無土器時代といわれるころのものであるとわかった(『箱根町誌』1・坂詰秀一・芦ノ湯の旧石器時代の遺跡)。箱根山中には原始人の足跡がもうこの時代から見出せるのである。
 早期縄文人の遺跡は、仙石原大井平・同下向・宮城野の上・ニノ平の北畑などがあり、縄文早期約七、八〇〇〇年前の土器が出土している。今から六〇〇〇年前の縄文前期の遺跡は、湯本の畑ノ平に、縄文中期の遺跡は、宮城野の明神平・ニノ平の北畑・湯本の畑ノ平などに見出せる。

 弥生時代に入ると、中期から後期(約二〇〇〇年前)にかけての遺物が仙石原の大原地区に集中的に出土している。この地帯は、かつては箱根火山の火口湖芦ノ湖の一部をなしていたところで、その後の火山活動により水位が低下し、湿原地帯となっていったところである。この湿原を利用して弥生時代稲作農耕が行われたという見解もあるが(箱根の遺跡・遺物・箱根の文化財一九号)、果たして仙石原のような高冷地で当時稲作が可能であったか、と疑問を持たざるを得ない。今後の調査研究を待ちたい。
 そしてこのような遺跡・遺物の出土からいえることは、無土器時代から縄文・弥生時代にかけて箱根山には多くの原始人の足跡が見出され、彼らは箱根山中に入って、ある時は石器の素材となる黒曜石を採集し、ある時はイノシシやシカなどを追って山中を駆けめぐり、ある時は山菜や木の実を採取し、自分たちの命の糧としていたということであろう。
 しかし、彼ら箱根山中に入った原始人たちが、当時も山中を流れる早川の川底から涌出していたであろう温泉と、どのような係わりを持ったか、これらの遺跡・遺物はなにも語ってくれない。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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