【湯本湯の開湯】

 伝承ではあるが、箱根温泉の開湯を伝える史話が見出されるのも、やはりこの時代からである。「熊野権現願文」(早雲寺文書)によれば、天平十年(七三八)、関東に疱瘡が蔓延し、人々は病苦に悩まされた。この時加賀白山の開創者泰澄の弟子浄定坊が湯本に来て、白山権現を勧請し、十一面観音を安置し修法を行したところ、たちまち霊泉(温泉)が湧き出し、それに浴した人々はことごとく疱瘡が治った、というのである。
 全国各地の温泉の開湯を伝える史話には、しばしば僧侶が登場する。塩原温泉は、承和元年(八三四)弘法大師がこの地に錫を留めた時発見したと伝え(塩原温泉誌)、修善寺温泉も同じく弘法大師が大同二年(八〇七)独鈷を投げて発見したと伝えている。東山温泉の発見者は行基菩薩をいう。
 中野栄三の『銭湯の歴史』によれば、入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まり、寺院の本堂のかたわらには浴殿が設けられ、これを浴堂院と名づけた、とのことである。やがて人々に入浴を施すことにより成仏するという仏教の教義が広まり、大寺院では浄財を集めて大湯屋を設け、施浴救済の事業が行われるようになった。
 寺院に設置された湯屋による施し湯が、入湯形式のものか、蒸風呂形式のものか判然としないが、現存している東大寺・東福寺の湯屋などから見て、蒸風呂形式のものが大半であったと思われる。
 ともあれ、入湯が人々の身も心も浄め、それを施すことが仏の大慈悲であるという仏教の教えが広まるなかで、前述のような高僧の開湯説が各地で伝承されていったものと思われる。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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