【湯治場芦之湯】

   はこねは雪いまだふらず、霜ぞこほりて道はことにすべりて、あやふきこと
  かぎりなし。からうじてあしかわといふ山のなか、みづ海のはたにたち入りぬ。
  高き山のいただきひろさ三十町なり。にしのかたなるみづうみにて、雨ふれど
  水まさらず、日てれど水ひず、ふしぎなり。又この山にぢごくとかやありて、
  死人つねに人にゆきあひて、故郷へことづけなどするよしあまたしるせり。
  いかなる事にか、いとふしぎなり、あしのうみのゆとて温泉もあり、いかさまにも
  ふしぎなり。-

 右の文は、鎌倉中期の歌人飛鳥井雅有の「春の深山路」の一説である。雅有は、弘安三年(一二八〇)関東下向の際、同年十一月二十五日箱根を通過するが、この日記はこの時の見聞を記したものである。文中にある「あしのうみ」とは、芦之湯温泉を指すものであろう。現在も芦之湯には若干の湿原地があるが、往時は恐らく満々と水を湛えた「みづうみ」になっていたのであろう。「東関紀行」の作者もこの地を「芦の湖(あしのうみ)」と呼んでいる。この文中に「あしのうみとて温泉もあり」とあるところから見て、芦之湯はこのころからすでに湯治場として存在していたと思われる。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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