【東海道の旅籠】

 温泉宿とは違うが、箱根には東海道筋の箱根宿を中心に東海道を往還する旅人を相手とする旅籠が多くあった。これらの旅籠は、先にも述べたように明治維新による宿駅制度の廃止及び明治二十二年(一八八九)東海道線の開通により姿を消していった。
 箱根宿の江戸時代からの本陣・旅籠のなかで明治以降も旅籠として存続し、記録に残るものは、鎌倉屋石内、柏屋、山木屋、遠州屋、大村屋、たちばな屋、はふや屋の七軒のみである。
 このうちはふや(高瀬四郎左衛門)は、明治以降箱根を訪れる外国人相手の旅館のひとつとしてにぎわったが、その後、数人の所有を経て、大正十一年(一九二二)富士屋ホテル系列の箱根ホテルとなった。
 箱根権現の門前町であった元箱根にも旅人宿があったと思われるが、古老の話によるも定かでない。明治三十年(一八九七)九月、鎌倉屋石内に滞在し、名画「湖畔」を製作中の黒田清輝を訪ねた芳陵の「はがき紀行」(横浜貿易新報)に「元箱根の宿小林屋というに行李といふも恥しき手提革鞄二個を下しぬ」とある。小林屋とは橋本屋の前身であろうか。明治三十三年、芦之湯の松坂萬右衛門が元箱根に進出、松坂屋支店通称富士見ホテルを湖畔に開業した。
 明治四十二年発行の『箱根温泉案内』(箱根温泉宿組合)には箱根町に、はふや、石内、山木屋、遠州屋、大村屋、たちばなやの六軒、元箱根に、松坂屋支店、橋本屋の二軒が載っている。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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