【明治後年代の宿泊料と交通費】

 温泉宿組合は明治三十九年の宿泊料金等を組合規程第一八条に詳細に定めている。
  第十八 物価席料及入浴料等ハ左ノ範囲ニ依ルモノトス但軍人行軍ノ節学校生徒運動会等ノ場合ニ於
  テ此範囲外ニテ宿泊セシメントスルトキハ其都度行事ニ届出ツルモノトス
   一 宿泊料
      特等  金弐円五拾銭以上  一等  金弐  円以上
      二等  金壱円弐拾銭以上  三等  金八拾五銭以上
      等外  金五拾  銭以上

   一 昼食料
      特等  金壱   円以上  一等  金七拾五銭以上
      二等  金五拾  銭以上  三等  金参拾五銭以上
      等外  金弐拾五 銭以上

   一 学校生徒多数ニ来リタルトキノ賄料ハ一日金四拾銭ヨリ金五拾五銭迄
      食物ノ標準ハ夕飯魚及豆腐つゆノ類、朝飯汁及煮(者の下に火)豆ノ類、昼ノ弁当ハ握飯へ
      煮(者の下に火)しめノ類ヲ添へ竹ノ皮包トスル事
       但シ先方ノ求メナキトキハ茶菓子及ヒ浴衣ヲ差出サヽル事

   一 料理
      壱品ニ付     金拾    銭以上
       但汁、煮(者の下に火)豆、豆腐類ニ限リ本項ニ依ラサルコトヲ得

   一 入浴料
      普通壱人壱日ニ付 金五銭以上拾銭迄  別室貸切 金五拾銭以上弐円迄

   一 席料
      席ノ構造及大小ニ依ル

   一 夜具料
      木綿更紗ノ類壱組ニ付 金拾銭以上弐拾銭迄 絹布壱組ニ付金参拾銭以上 (但壱日分)

   一 飲料
      内国製ビール(大金参拾銭ヨリ 金卅五銭マデ 小金拾八銭ヨリ 金二拾銭マデ)
      鉱泉類   (大金参拾銭ヨリ 金四拾銭マデ 小金拾五銭ヨリ 金弐拾銭マデ)
      日本酒    凡弐合入壱本  金拾八銭以上 (但瓶詰酒ハ此限ニアラス)
      牛乳     壱合 金六銭
      ラムネ   (並製 壱本  金六銭ヨリ 特製 壱本  金拾五銭ヨリ)

   一 近郷農家浴客ニシテ一室ニ数人同宿スルモノニ限リ左ノ規定ニ依ルコトヲ得
      温泉料、席料、炭油料、焚出料共壱日壱人金拾五銭ヨリ弐拾銭迄
      夜具壱組金四銭以上  蒲団壱枚ニ付金弐銭以上
      食物壱品ニ付金弐銭以上
      駿東郡地方ノ浴客ニ対シテハ玄米壱升以上ヲ以テ温泉料、席料、炭油料、
      焚出料(巳上 壱日分)ニ代用スルコトヲ得
       但駿東郡ノ外ハ米ヲ代用セシムルコトヲ得ス
      夜具料壱組ニ付金四銭以上蒲団壱枚弐銭以上

明治四十二年の交通費(日本歴史地理学会編・箱根の研究)
 新橋―国府津(汽車) 上 一円九九銭  中 一円一七銭  下 七八銭
 国府津―湯本(電車) 上   九〇銭  中   六〇銭  下 三〇銭

  湯本停車場より各地への里程及賃金表
  地名   里程   人力車賃 元箱根 旧道二里廿三町 籠約一円余 新道四里   車一円十銭
 塔之沢  五町     十二銭 箱根町 旧道二里廿八町 籠約一円余 新道四里九町 車一円廿銭
 宮之下  一里廿町   五十銭 姥子    四里     一円廿銭
 底倉   一里廿四町  五十銭 大涌谷   三里廿町   車强羅迄
 堂ヶ島  一里廿四町 五十五銭 仙石    三里八町   制定なし約一円位(宮城野迄)
 木賀   一里卅町   六十銭 乙女峠   四里十町     仙石より籠
 宮城野  一里卅四町  七十銭 三島    六里三十町  旧道籠二円三十五銭
 強羅   三里   上り九十銭 小田原   一里廿三町  電車三等十六銭
          下り七十五銭
 小涌谷  二里十町  七十五銭 御殿場   六里半       仙石より籠
 芦之湯  三里    九十五銭 芦之湯   芦之湯より乙女峠へ 往復   一円五十銭
                       芦之湯より御殿場へ 片道   一円五十銭
                       芦之湯より三島へ  片道   一円四十銭

  箱根芦ノ湖乗合船賃銭表
 箱根及元箱根 湖尻間  二人舟子   片道  一円三十銭  往復 一円五十銭
             一人舟子         九十銭     一円十 銭
 箱根町 元箱根間    二人舟子         七十銭       九十銭
             一人舟子         四十銭       六十銭

 湖内遊船         一時間   一人舟子  四十銭  二人舟子 七十銭
              二時間         六十銭       九十銭
            以上一時間増毎二       十銭ヅヽ増     廿銭ヅヽ増

  一、一艘定員十名以内   外国人五名以内
  二、屋根付船は定額以外三十銭増加
  三、箱根町、元箱根村、湖尻に毎日定期(十二時 三時)発船あり

 明治四十二年秋、宿組合は鉄道庁、小田原電鉄と交渉、箱根紅葉見物回遊列車を走らせることに成功、大々的に新聞広告を行っている。

  期間  九月二十三日より十一月中の毎土曜日
   正午  新橋発  十三時五十分  湯本着
           それより任意の場所に一泊
   翌五時湯本発
  費用  往復運賃   一円三十銭
      宿泊料    一円二十銭(茶代拝辞)
      昼食       三十銭
        合計   二円八十銭

 宿泊料の精算をどのように扱ったかは分らないが、恐らく宿組合が回遊券所持の客については茶代を含めて一円二〇銭の宿泊料を厳守するよう徹底したものであろう。込々料金の走りであった。当時茶代廃止を実施していたのは、湯本福住、底倉蔦屋の二軒だけであった。
 ちなみに、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(交通公社の前身)がクーポン券の発行を始めたのは、大正十四年(一九二五)である。当時は、遊覧券(現在の周遊券)につけた宿泊券であった。
 塔之沢は、明治年間早川の出水による被害をたびたび受けたが、最も大きな被害は明治四十三年八月の洪水であった。この時塔之沢の西のはずれにあった福住が流失、他の宿屋も浸水して避暑客は宮之下方面に避難した。福住はその年の暮、玉の湯(現在地)に移り、福住楼を再開した。
 そのころ、仙石原や強羅の開発が始まり、大正の初めには、箱根の温泉場はこの二湯を加えて、十二湯を数えるようになったのである。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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