【箱根山における災害の状況】

 先の温泉村の宿直日誌からも、箱根山における被害状況がいかにすさまじかったか、と推察されるが、小田原警察署の『小田原警察署管内震災情況誌』及び『神奈川県震災誌』から箱根山全体の被害状況を追ってみよう。
 箱根山の被害は主として山崩れによるものである。湯本では農学博士辻村伊助一家六名が山崩れのため生埋めとなり、湯本駅裏の白石山が崩壊し、停留所と周辺の家屋が埋没した。塔之沢では松本健之助宅外二戸が早川の渓谷に墜落し、家屋が粉砕した。宮之下の被害は、先の日誌が記したとおりだが、そのほかにも蔦屋旅館・紅葉館・福島物産店などが崖崩れにより谷底に墜落、多数の死傷者を出した。また奈良屋の西洋館が倒壊、宮之下御用邸、富士屋ホテル、三河屋ホテルも激震のため半壊した。そして「八千代橋上ヲ疾走中の自動車」が橋もろとも「十三丈余ノ渓谷ニ墜落シ運転手ガ即死」するような悲劇も起きた。
 宮城野、仙石原でも各地に山崩れが起き、特に碓氷峠付近で起きた山崩れにより飯場で食事中の人夫七名が生埋めとなり惨死したり、一家八名が埋死するような悲劇が起きた。なお、仙石原では、旅館仙郷楼、俵石閣が半壊した。
 箱根では、箱根離宮は小破損に止まったが、箱根ホテルは全壊した。同ホテルは富士屋ホテルの山口正造が施工費二一万三〇〇〇円を投じ建築した木造四階建てのもので、大正十二年六月十五日に開業したばかりのものであり、わずか二か月半で建物の全部が壊滅したのである(富士屋ホテル八十年史)。元箱根では、富士見ホテルが湖中に倒壊、箱根神社は半壊し、芦之湯でも紀国屋の新館が全壊、松坂屋も半壊した。
 箱根山をめぐる道路も山崩れや大石の落石により交通が杜絶した。湯本から宮之下・箱根町に至る国道一号線も湯坂山の四丁歩にわたる崩壊により歩行困難となり、宮之下から仙石原に至る道路は各地に崖崩れが生じ交通が絶えた。また湯本より畑宿を経て箱根に向かう旧東海道も「一朝ニシテ全線殆ンド須雲川ニ崩壊シ剰ヘ両(ふた)子山頂より巨石墜所落下」交通が杜絶した。
 交通機関も小田原電気鉄道の経営する箱根登山鉄道の線路が山崩れにより全線にわたって埋没、加えるに小田原幸町車庫の全焼で車両一七台が焼失するなどの被害を受けた。
 以上が箱根山の各地で起きた関東大震災の被害状況である。これらの被害状況を『神奈川県震災誌』中より箱根地方の被害データを摘出してまとめると、次のとおりになる。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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