【富士箱根国立公園指定に向けて】

 同年八月内務省は当時開会中の帝国議会に法案を提出する運びとなったが、洩れきいた所によれば、候補地として富士箱根地区は除外されたらしいことを知り、関係者は躍起になって態勢挽回のため、早速内務省に出向き、その真相をたしかめた所、富士箱根地区は、当然有資格が認められるから速かに陳情をせよと励まされた。全山七か町村と隣接の湯河原、真鶴二町を加え、八月二十日県を経由して請願したのである。
 更に昭和四年(一九二九)ごろより国立公園指定認可運動は一段と活発化し、箱根国立公園協会の設立を計画、全山にわたり箱根振興会が中心となり準備を進めた。
 昭和五年(一九三〇)一月二十一日、神奈川県庁において発起人、小川箱根振興会長、石村温泉旅館組合長、川辺温泉協会取締、箱根各七か町村長、湯河原、真鶴町長も出席の上、大箱根国立公園の実現を目的として会長に山縣神奈川県知事を推選し、官民一体の大箱根国立公園協会が設立されたのである。
 一方中央の政府においては、国立公園法制定の準備が急速に進められていた。自然の景観と歴史的環境に秀れ、かつ貴重な文化財を数多く有する富士箱根地区が候補地となったことは当然であった。
 昭和五年一月、閣議決定によって、内務省に国立公園調査会が設置され、同年七月、審査のための特別委員会が設けられた。昭和六年(一九三一)二月国立公園法が制定されると、特別委員会は国立公園候補地の具体的選定に着手した。
 こうした中央の動きに合せ、神奈川県では、富士箱根国立公園の早期実現のため、この地域にまたがる静岡、山梨両県知事と相提携して第一次指定促進の運動を始めた。
 昭和六年十一月七、八、九の三日間にわたって内務省から実地調査のため、岡崎博士以下係員が来函し、国立公園の仮指定は本年中にも発表される予定であるとの内密な報告があった。
 昭和七年(一九三二)十月八日、待望の快報がもたらされた。特別委員会で、富士箱根・日光・北アルプス・十和田湖・阿寒湖・大峰山・阿蘇七候補地の選定答申を決定したという報せが届いたのである。この当時地元民も県も、選定は指定と同じで、近く官報で正式指定されるものと早合点し、県は利用施設の拡充整備に補助金などを積極的に拠出し充実を図ることになった。
 同年十月三十日、内務省役人及び田村博士一行が視察に来函し、十一月一日、箱根山の入口湯本山崎の国道沿いに第一号杭が打込まれ、地元箱根振興会は長年の苦労がむくいられ感涙にむせんだ。
 ところがこのころより富士箱根国立公園の名称問題が中央で論議されるようになった。富士と箱根を合わせることは名称が長すぎると考えられ、今は仮の名で答申するが、同委員会の大勢は富士国立公園の名称に賛成する意見多き旨田村博士から内々に話があった。また県が要望する真鶴などの海岸線を含めることは、第一次では困難との話もあり、箱根振興会及び大箱根国立公園協会は箱根の名称織込と海岸地の区域編入に向かって猛運動を始めた。
 その後特別委員会は、各候補地の詳細な現地調査を行い、昭和九年(一九三四)三月十六日に第一次指定として、瀬戸内海・雲仙・霧島の三地域を指定、同年十二月四日には阿寒・大雪山・日光・中部山岳・阿蘇の五地域を追加指定した。
 なぜか富士箱根国立公園はいずれの指定にも見送られたことで、箱根振興会は完全に肩すかしを受けその理由の究明を始めた。すると、富士箱根が、第一次・第二次の指定に洩れた真相は、箱根の名称問題にあったのではなく、富士山麓地帯の陸軍演習地の使用問題などで、陸軍省と内務省の調整に手間どっていることがわかった。このような政府の動きに対し神奈川・山梨・静岡・三県の関係者及び大箱根国立公園協会・箱根振興会などは再三中央官庁に陳情し、一日も早い正式指定を要請した。
 ようやくその猛運動の甲斐あって昭和十年(一九三五)十二月十一日内務省で開かれた国立公園委員会で、陸軍演習地の問題が解決され、翌年二月末乃至三月初めまでに正式指定の運びとなった。
 しかし名称に関する委員会の意見は「箱根」を削除して「富士国立公園」とするという方向に固まりつつあるとの情報を得たので、箱根振興会は緊急総会を開催、「箱根」の名称削除は全くのイメージダウンであるとの地元意見を早急に各委員会に訴えるため、急拠役員が上京した。
 その結果、昭和十一年一月十五日開催の国立公園委員総会では、委員会の形勢は一変し、多くの委員から「箱根」を織り込むべしとの意見が続出し、内務大臣もその意向に沿う旨の言明があった。
 これによって富士箱根国立公園は、昭和十一年二月中には正式指定を受けることが確実になり、地元箱根振興会初め関係市町村は猛運動の効果が実ったと歓喜し、大祝賀会を開催する準備を始めた。
 昭和十一年(一九三六)二月一日、政府は、官報を以て富士箱根を含む六候補地の国立公園正式指定を告示した。

     告示
   国立公園法第一条の規定により左の通り区域を定め富士箱根・十和田・大山・吉野及び熊野国立公
  園を指定す
     昭和十一年二月一日                  内務大臣 後藤文夫

 その後、昭和三十年三月十五日、伊豆半島区域が追加指定され、富士箱根伊豆国立公園と改称された。その面積は一二万三〇六八ヘクタールである。
 長年に亘り国立公園指定に向けて一喜一憂しつつ、熱意と努力を傾け、所期の念願を達成した箱根振興会を初め関係者の御労苦を我々は忘れてはならない。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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