【学童集団疎開の受け入れ】

 旅館組合の執行部は時局の緊迫下に、県下学童の疎開受入に重大な覚悟と決意をもって、昭和十九年(一九四四)七月二十一日臨時総会を招集した。
 当日の総会において石村喜作理事長は、学童受け入れと組合員の協力に対し、不退転の決意で臨んだ。

 一口に七〇〇〇人というが、箱根山の各旅館に受け入れることの困難は誰がその任に当たっても容易でないことであった。石村喜作理事長は各組合員に対し協力を懇請し、当面する受入事務その他食糧問題、教育環境も整備等の責任を一身に負う覚悟であった。
 会議は、学童集団疎開の受入について異例の決議を行い全組合員の署名を取った(当日の会議は組合員総数五五名のうち出席三八名が署名している)。

  
   ・臨時総会決議文
   決議
 県當局より県下学童集団疎開ニ協力スベキ旨ノ懇請ニ対シ当組合旅館ハ進ンデ之ニ協力スルコト
  右ニ決議ス
   昭和十九年七月二十一日     議長     石村喜作 印
                   議事録署名人 鈴木七郎 印
                     〃    草柳民弥 印 
 この総会決議により旅館側は受入れ体勢を整え、それぞれの割当てを承諾した。

 八月十一日に開かれた理事会において次のような学童集団疎開に対する旅館側の対応策が報告され、了承された。いよいよ箱根温泉へ横浜からの学童疎開が始まることになったのである。

    学童疎開ニ関スル諸般報告
   (イ)去ル十一日受入側ノ急ヲ要スル施設材料ニ付キ地方事務所ヨリ各町村関係者ヲ集合セシメ調査セリ

   (ロ)二十日頃学童受入予定ノ処輸送関係ニヨリ変更セラレ十二日ヨリ到着スルコトトナル

   (ハ)諸費用予算額ニ関スル件
     施設費(便所炊事場等)百人ニ付千五百円以上最高三千円
     輸送費 百人  三百円
     学費  一人  一年十円
     生活必需品(食費外) 一人二十円
     衛生諸費 一人二十円
     建物借上費 一人一ヶ月最高五円
     食事費 一人一ヶ月二十円
     看護婦 一校一名
     寮母(百名ニ付)四名 給五〇円、勤手一割五分
     作業員(百名ニ付)三名 給四〇円、勤手一〇円
   
   (二)食糧費
     学童ハ一日米三合三勺トス野菜ハ一人一日三十匁トス
     各町村ニ対シ三日置キニ配給ス
     漬物トシテ蕪及海苔佃煮ヲ右記ノ通十五日ニ引渡ス
      町村名   品名   三日量   品名    数量
      湯本町   蔬菜   一五五貫  蕪佃煮  二六貫
      温泉村   〃    一七〇貫   〃   二九貫
      宮城野村  〃    一七〇貫   〃   二八貫
      仙石原村  〃    一一五貫   〃   二〇貫
      芦之湯村  〃     四〇貫   〃    七貫
      元箱根村  〃    一四〇貫   〃   二四貫
      箱根町   〃     三〇貫   〃    五貫

    (ホ)薪炭
     薪十人二十日七束  炭十八人二十日〇・五俵トス

    (ヘ)食事請負ニ関スル実際関係ノ協議ヲ行ヒシ処応急方法トシテ具体的
     定メノ付ク迄適当ニ実施スルコト
      家ノ借上料ニ付テハ軍ノ例モアル事ヲ予メ申出置キタル処箱根旅館ニ
     関シテハ石村理事長ニ、一任スルノ旨横浜市会ノ地方事務所ニ於ケル     
     町村長会議ニ於テ定メラル
     伝聞スルニ熱海モヤハリ同様ノ立場ニヨリ料金ヲ定ムル由ナリ

    (ト)学童到着予定日ノ件
     昨十日学童出発到着日予定発表セラレタルニ付キ箱根旅館受入分朗読
     報告ス

 このようにして横浜市からの学童集団疎開は、箱根全山の温泉旅館に入ることになったが、警察署と協議の結果、ホテルのほか数軒の旅館は、一般営業を継続することになった。その旅館・ホテルは次のとおりである。

   富士屋ホテル・強羅ホテル・明星館・山水楼・金波楼(以上は全館)
   箱根ホテル・奈良屋・一福・山水楼・仙郷楼(以上は一部)

 八月十二日、柏木良治、平沢愛三を分団長とする横浜市石川国民学校の児童が宮城野村に到着し、箱根温泉における横浜市の学童集団疎開が始まった。同月二十五日までに箱根の各町村に疎開した学校は次のとおりである。

(表)



 (この表は「横浜市教育史」より転載。なお、学校番号は、横浜市の公立学校一貫番号であり、欠番となった学校は他市町へ疎開)

 そしてこのような学校疎開校二四校、七〇〇〇余名の分宿先は受け入れ旅館側の畳数等収容面積によって、割りふりが行われた。疎開児童の受け入れ旅館及び人数は次のとおりであった。

(表)



 集団学童疎開には組合加入旅館のほか、宮城野村の恵風会館、横浜市健民寮・宝珠院・青年会館の公共建物の他、仙石原村の勝俣軍一宅、元箱根村杉よし旅館なども提供された。また箱根山七か町村には「疎開児童受け入れ協力委員会」が設置され、官民一体の協力体制がしかれていた。

 両親の膝元を離れはるばる箱根山に疎開したいたいけなこれらの学童に対し、歓迎のしるしとしてできた最大の地元の厚意は、馬鈴薯の塩茹でであった。

 『箱根町教育史』にも、疎開児童受入歓迎行事支給甘味料について、次のような史料が見出せる。

   一 歓迎用ノ馬鈴薯ハ集団国民学校ト受入国民学校ニ於テ緊密ニ連絡シ
     入手ニ遺感ナキヲ期スルコト
   二 馬鈴薯ハ塩茹デニテ可ナルコト
   三 右ノ外、麦湯等ハ受入町村婦人会、青少年団、国民学校児童ソノ他ノ
     団体ノ協力ニ依ルコト

 更に組合は各地区の旅館等が属する行政担当者(町村長)に対して、学童受入の均衡を保つために同一の歓迎方法をお願いした。地方の一団体にすぎない旅館組合がこれほどまでに疎開児童の受け入れに注意を払ったことは、地元の人々が常に暖かい人間愛をもって、この学童疎開の大事業に当たったことを物語っていよう。

 とはいえ、戦局の悪化は小さな疎開学童の体にも重くのしかかってきた。地方民の協力で、当初は比較的よかった食事も、芋や野菜の多い雑炊となり、やがてその野菜も不足しだすと、学童たちは、近くの野草採りに出かけ、ぎぼし、かんぞう、はこべ、山みつばなどの野草を摘み、また、季節によっては、竹の子、わらび、ぜんまい、くるみ、河原でとった沢がになどが食卓にのぼったこともあったという。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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