【終戦と箱根療養所】

 八月十五日に終戦の詔勅が発せられ戦争は終わった。当然ながら中央軍政の指揮命令系に乱れが生じ、特に総指揮官が軍医官であった箱根分院では統制が失われて、元気な傷病兵はいち早く無断で帰郷し、各宿舎には重病患者だけが残された。やがてこの四〇〇名は、三昧荘に集められ、その他の旅館は九月三十日分院宿舎指定を解除された。その後重症患者は、医療器材と共に、トラックで熱海陸軍病院に移された。それらの諸作業が終了し、箱根分院が正式に閉鎖されたのは昭和二十年(一九四五)十二月一日である。

 これらの終戦処理を行った軍人は、元陸軍主計大尉八木沢忠義、元陸軍衛生准尉萩原政治である。八木沢は、終戦時を回顧して次のように話してくれた。

   大戦中我が国の陸海軍病院(分院、療養所、野戦病院、病院船を含めて)は
  一一三か所あった。終戦と同時に大蔵省は陸海軍病院等の全財産を国有財産
  として大蔵省が管理する旨軍と交渉中であったが、陸海軍の病院関係者は
  大蔵省移管を拒否して直接厚生省移管を主張した。これは、軍部の一部に
  当時国の内外に(引揚者を含めて)三〇〇万人から五〇〇万人の不健康者
  邦人がいることを予想して、国家的医療行政の必要性を強く主張していた
  からである。

 邦人五〇〇万人の医療行政は、すべての財産とともに厚生省に移管され、昭和二十年十二月一日からすべての軍病院は、国立病院となった。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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