【終戦時の箱根温泉旅館】

 終戦の日八月十五日から一週間たった八月二十三日、箱根塔之沢の旅館組合事務所に、鈴木二六・小川仙二.石村喜作・安藤茂武・山口堅吉・福住俊次・田中倉松などの理事が集まった。敗戦という未曾有の現実を前にして、今後の旅館経営に関して旅館組合として当面の課題をどうするか検討するためである。

 陸軍病院では八月末日までに、旅館側に宿舎(病舎)を明け渡す約束をしているが、実際の状況から見て実現は不可能であった。横浜市の集団疎開学童の引揚げも急には無理で、市側も宿舎の賃貸契約の続行を望んでいた。
 旅館組合では、これらの宿舎の賃貸契約の問題、引揚げ後の旅館営業を再開する際の届出について対策を練った。なによりも苦慮されたのは、旅館営業を再開するに当たって施設の修繕をしなければならぬことであった。戦後の混乱と資材の不足のなかでそれを実施することは困難であり、関係官庁の援助が強く望まれた。
 陸軍病院の宿舎に当てられた旅館は、九月三十日解除され、集団疎開学童の引き上げは十月二十三日から実施された。

 昭和二十一年に入ると箱根の各温泉地の旅館は、営業を再開すべく準備を開始した。
 しかし敗戦後の経済状況は厳しかった。旅館経営に必要な諸物資、宿泊料も統制経済下におかれ、特に宿泊料は、一等級より五等級にわけられ、小田原警察署経済係及び足柄下郡地方事務所の統制下にあって、厳しい監視の目が光っていた。

 それでも旅館主たちは、箱根温泉の再生をかけて営業を開始した。この年代旅館業を再開した人々は次のとおりである。

  湯本
 福住 (福住俊次)     清光園(露木清吉)     吉池 (高橋與平)
 弥栄館(吉田徳蔵)     恵比寿(木辺三郎)     万寿福(古川周三)
 住吉(福住与三郎)     和泉館(下田貞蔵)     山家荘(谷戸っ子)
 玉泉荘(高山順造)     清流閣(加藤喜代子)    大和館(安藤ソノ)
 鎌倉屋(石内シゲ)

  塔之沢
 環翠楼(梅村絢子)     一の湯(小川仙二)     福住楼(澤村正吉)
 新玉湯(小川徳二郎)    与喜屋(草柳民弥)

  堂ヶ島
 対星館(野中儀兵衛)    大和屋ホテル(川邊源次郎)

  宮之下
 奈良屋(安藤茂武)     富士屋ホテル(山口堅吉)  明星館(三河タケ)
 
  底倉
 蔦屋(澤田吉備子)     梅屋(鈴木七郎)      仙石屋(仙石辰英)
 好楽荘(曽我モト)

  小涌谷
 三河屋(榎本誠一)

  強羅
 万千楼(志賀まち)     強羅ホテル(大久保博司)  観光 (田中倉松)
 くらた(倉田シヅ)     常盤(眞鍋末野)      小高庵(奥山なか)
 早雲閣(関戸覚蔵)     初音(大藤タミ)      翠光館(倉田タカ)
 吉浜 (播摩文次郎)    吾妻館(柏木サト)     公園ホテル(日比野徳蔵)

  箱根
 箱根ホテル(石井厳)    ふる屋(古屋元平)

  元箱根
 駒ケ岳ホテル(大場金太郎) 富士見楼 (大場金太郎)  山水楼(大場金太郎)
 芙蓉亭(大場金太郎)    神山ホテル(大場金太郎)  金波楼(早川キヨミ)
 武蔵屋(小林善雄)     橋本屋  (小林秀之)   松坂屋(安藤ミツ)

  姥子
 秀明館(西村秀一)

  芦之湯
 松坂屋本店(松坂トミ)   紀伊国屋(川辺吉雄)
 
  仙石原
 仙郷楼(石村喜作)     俵石閣(吉田太平)     萬岳楼(石村要之助)
 冠峰楼(勝俣角次郎)

                                        (順不同)

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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