【歴史はかたる】

 岩崎(専門委員)●今までの箱根温泉の歴史から、三つの点をきょう皆さんに問題提起としてお話ししてみたいと思います。
 まず第一点は、箱根温泉の歴史の中で、昔の旅館のご主人たちが時代の流れ、大衆動向に敏感な感性を持っていたということです。
 その具体的な例としては、文化二年(一八〇五)に起きた湯本の温泉場と小田原宿・箱根宿との〝一夜湯治〟論争です。江戸後期になりますと、大衆の旅行動向がものすごく変わってきました。東海道五十三駅を往来する旅人たちが、レジャーを求めて、わき道にだんだんそれだしてくるわけです。その一番の例がお伊勢参りや富士登山あるいは京都・奈良の本山参りです。そういう集団旅行が従来の箱根宿とか小田原宿に泊まらずに、箱根の温泉場にやってくるようになってきます。そうしますと当然、お客をとられた幕府公認の宿場である小田原宿、箱根宿は、湯本温泉場を含めた箱根温泉のやり方はけしからん。幕府が定めた、東海道五十三駅以外の村で泊まってはいけないとか、わき道にそれて宿泊してはいけないという規定に背いているということで、道中奉行に訴えます。それに対応した湯本温泉場の仕方が非常におもしろいのです。争論を訴えてくる小田原宿の旅籠の連中を巧みにかわして、先に道中奉行に自分たちの事情を説明に行ってしまうわけです。
 小田原宿からの話し合いをしようじゃないかという呼び出し状に対し、名主の九蔵は病気だから行けない、組頭のだれそれは外出中だからしばらく待ってくれと責任者は小田原宿に行って話し合いをしません。おかしいなと思って小田原宿の人が湯本を訪ねると、名主九蔵を含めた連中はすでに江戸に飛んで行って、今度の事情について、道中奉行に伝えているわけです。小田原宿も追っかけ行くわけです。
 道中奉行は、両方があまり言い合うので、ここでは裁断ができない。地元に帰ってもう一度よく話し合えと言うわけです。一方、湯本の温泉場の人たちは道中奉行のお墨付きをぜひとも取らにゃいかんと盛んに裏工作をして、最終的には道中奉行に、「一夜湯治」といって集団が湯本やほかの温泉場に一泊どまりをするという、従来にない宿泊形態を公認させてしまうわけです。これは恐らくかなり裏に政治資金も動いたんじゃないかと思います。
 小田原宿や箱根宿は幕府の公認の宿場ですから、宿が疲弊してきますと、すぐ親方日の丸で援助をしてもらう。ところが、権力のバックアップがない湯本の温泉場の人たちは、捨て身になって取組んでいる。同時に時代の大衆動向、レジャー動向を巧みに受け入れて、「一夜湯治」を定着させていくということは、時代に対する進取の精神が相当あったと考えます。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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