【協調】

 三点目は、これは明治以後のことになります。箱根にも外来の資本家といいますかそういう人たちが、ホテルなり旅館経営に夢をかけてやってくる。その第一号が山口仙之助です。宮之下の藤屋を改修して、富士屋ホテルとして外人専用のホテル第一号をつくりました。あるいは三河屋の先祖もそういう形で入ってきました。
 当時の外来の人たちは箱根を自分の夢を託する場所として、入り込んでくるわけです。ですから、そういう人たちは地元の人たちと協力して新しい時代の箱根温泉をつくっていこうという気概に燃えている。例えば山口仙之助が宮之下-塔之沢間の道路開削を提唱して、みずから先頭に立ってお金を出して、地元の有志を募って道路を着々と開削させていく。今度は松坂萬右衛門が宮之下から芦之湯、箱根にかけての道路開削を提案すると、三河屋も協力して一緒にやっていかれる。そういう形で、地元の人たちとの協調と同時に、箱根に夢をかけて成功させ、そこでおれは死んでいくんだというような、非常に健康な開拓魂が初期の資本家の人たちには流れていたと思うんです。以上三点が今日までの箱根温泉を育ててきた基底にあると私は考えています。

 松坂●岩崎さんから三点のお話がありました。一つは江戸時代から鋭敏な感性を持って時代に即して来たということですね。もう一つの問題は、自主規制をしていた。天保十四年の規約書を考えてみると、電話や自動車は勿論のこと満足な道とてない江戸時代に、このようなルールを作った努力は大したものだと思います。三番目の外来資本の問題ですけれども、岩崎さんがおっしゃったとおり外来の資本が地元の人たちをいい意味で啓蒙しながら、一緒に新しい箱根をつくっていったということを強く感じます。 次に、大木さんから箱根の現状をお話いただきたいと思います。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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