【箱根の現況】

 大木(専門委員)●私は、箱根温泉の現状を分析し、日本の温泉地の中でどのような位置にあるのかを示してみたいと思います。
 箱根温泉の特徴は東京から約八〇キロ、東京圏に位置していて、交通の便がものすごくいいということです。それだけでなく、箱根火山という雄大な自然に恵まれ、しかも箱根の関所、箱根神社など、歴史のある温泉地です。
 江戸時代から現在までの箱根温泉の流れを大ざっぱに言いますと、初めは地位のある人、あるいはお金のある特別な人々の温泉地でした。それが、特に戦後、働くばかりでは人生何のためにあるのかわからない、ときには美しいものを見たり、おいしいものを食べたり、温泉にひたって、ゆったりとした気持ちを味わいたいと、温泉旅行が一般化してきました。
 例えば明治十九年には箱根温泉に約一〇万人の人が宿泊しております。昭和五十五年には四〇〇万人の人が宿泊し、明治十九年に比べて四〇倍になっております。
 日本の温泉地における箱根温泉の位置ですが、観光客の数でいきますと、昭和五十五年では、日本第一位が大分県の別府で四七一万人、第二位が箱根で四六一万人です。
 特に注意をしていただきたいのは、石川県の山代温泉です。昭和四十四年には五〇万人そこそこです。昭和四十四年から五十五年の間には第一次石油ショック、第二次石油ショックがあるにもかかわらず、ものすごい発展をしています。

 次は施設の状況です。昭和五十五年の収容人員を見ると、別府が三万一〇〇〇人、箱根は三万八〇〇〇人で第一位です。数が多いばかりでなく、宿泊施設の質もいいわけです。そのほか、伊豆半島のつけ根の熱海とか、伊東温泉、湯河原温泉も上位に並んでおりまして、東京に近いところに施設のすぐれた温泉地があるということがわかります。
 交通網ですが、これは説明するまでもなく、箱根は日本で最も鉄道、道路が整った温泉地です。
 次に温泉の量です。箱根、熱海は相撲の位でいきますと、関脇になります。温泉湧出量はAクラス、非常に湧出量の多い温泉地です。
 宿泊施設の稼働率を見ますと、高度経済成長の真っただ中の昭和四十四年箱根は旅館、ホテル、保養所、寮を全部ひっくるめて、稼働率約四〇パーセントです。安定経済成長の昭和五十五年になると三三パーセントで、七パーセントの低下になっています。先ほどの山代温泉は昭和四十四年三三パーセント、昭和五十五年にはなんと六七パーセントに上昇し、全国第二位にのし上がっています。ちなみに一位は静岡県館山寺で七九パーセントの稼働率をほこっています。和倉、片山津も上位にあり、石川県の温泉の稼働率の高いのが目立っています。
 稼働率の高いのは営業状況も非常にいいわけですから、サービスも十分行き届くということで、これはお客さんの満足の度合いを示していると思います。
 昭和四十九年の第一次石油ショック、同五十四年の第二次石油ショックを経て、石油は一バーレル三ドルから三〇ドルにまで値上りしました。昭和四十九年には観光地への石油もかなり制限され、日曜日にはガソリンスタンドが休業し、道路を走る車の数がガタ減りになりました。
 こういうことが当然箱根の観光客数にも大きく影響しました。昭和五十五年の観光総客数は昭和四十八年に比べて三〇パーセント減、宿泊客も一八パーセント減少しております。昭和五十八年の箱根の統計によりますと総宿泊者数は、昭和四十八年レベルまで回復したようですが、宿泊の内容はかなり変化し、旅館・ホテルの減を寮・保養所が受け取っています。
 石油価格が高くなりましたので、交通費が非常に高くなっております。湯本・塔之沢は湯本駅の近くですから、運賃の安い小田急線の関係で、交通費の影響は比較的少なかったわけですが、大平台から上のほうにかけては、交通費が高くなったことが原因で客数の落ち込みがあると思います。
 観光地への国民の期待が落ち込んでいるかというと、決してそうではなく、図でも国民の旅行を楽しみたいという希望は、趣味・芸術・スポーツあるいは健康管理と肩を並べていて、決して観光産業は将来のない性質のものでないことは明らかです。考え方とか計画などをうまく編成し直せば、将来はバラ色になるということが統計的な資料にも出ています。


 ここで、『中央公論』のことしの二月号に掲載されました「温泉旅館の真髄は丹前文化にあり」というてい談をご紹介したいと思います。
 出席者の一人の吉田豊彦さんは、石川県の山代温泉、ホテル百万石の経営者です。新しい山代温泉は田んぼの真ん中にある温泉地で、古い歴史を持っているわけでもありませんし、温泉が豊富に出ているわけでもないのです。自然条件に余り恵まれていない場所で、石油ショックをはさんでどうしてこんなすごい成長をしたのか、その様子がてい談の中に出ております。
 さっき岩崎さんや松坂さんからお話がありましたように、明治・大正の箱根の先駆者たちは自分だけよければいいということではなく、温泉場全体を一つの組織体とみなしてお互いに助け合っていい温泉場をつくったわけです。現在の山代温泉はそれによく似ています。リーダーである吉田豊彦さんは、山代温泉を連合艦隊のような編成にたとえています。戦艦もあれば巡洋艦もあり、航空母艦もあり、潜水艦もあるという、バラエティーに富んだ観光地をつくるように努力をしたわけです。
 特に大切だと思うのは、「お客様に感動していただける旅館づくり」ということを言っております。お客さんが満足だと思ったら、自分は仕事のやりがいがあるというふうに情熱を燃やしてやっています。以上のようなところに焦点を合わせて何年か努力してこられた結果、今日の山代温泉の発展となったのです。
 明治の箱根の開拓者の人たちも、箱根を利用なさるお客さんのことを考えて、交通をよくし、設備を整え、料金を下げたりという努力をなさったわけです。
 このてい談に出ている竹内宏さんが日本経済新聞社から『路地裏の経済学』(正・続)という本を出しております。経済の表のほうが工業や農業です。表のほうで働いている人たちはいつも張りつめてばかりいるわけではありません。人生の楽しさ、美しさを味わい、あるいは家族への思いやりを表現できる場所が路地裏であったり飲み屋であったりするわけで、それらの経済学的見方を示しているのがこの本です。将来の箱根を考えるのに役立つ本だと思います。

 松坂●いろいろな統計資料に基づいてお話しをいただいたわけですが、これからの問題を真剣に考えなければいけないということがはっきり出ております。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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