【情熱】

 大木●この前の編集会議のときに井島さんがおっしゃっていたんですが、箱根で一番欠けるものは端的に言うと〝情熱〟だ、「アハハハッ」って笑っておられたんですが、大事なことを指摘されたと思います。
 何かやりたいといったときに、周りの人たちはそれを育ててやらなければいけません。育てるときの条件として、一つは明らかに人の迷惑になるようなことはやっちゃいけないと思います。もう一つは、明らかにだれが見ても無意味なことはやってはならぬ。この二つを判定基準にして、あとはこれをやりたいという情熱があったらば、それをみんなで育ててやったらいいのではないかと思います。

 久保寺●山代温泉がすぐれた観光地になったのは、井島さんの言葉じゃないですが〝情熱〟でなったと思うんです。そのリーダーシップをとった方が吉田さんなんです。
 吉田さんのところは宿泊料が団体でも一万八〇〇〇円以上ということで、絶対下の料金の客は取らないんです。吉田さんが北陸観光協会の会長で、人望があるというのはそういうところなんです。あくまでも自分は旗艦としてどんどん前進し、施設も改善し、サービスもよくして、自分のところに泊められない宿泊料金の場合はその次の旅館、その次で泊められないところは次の旅館ということでやっています。山代温泉の場合、リーダーシップをとる旗艦の人がそういう点においてすぐれたために、一五年で一〇倍も伸びたと思います。

 松坂●連合艦隊の話から業界の協調、地域の協調という問題が出てきました。自分だけよければよい、街のことなど考えないという人が多くなると温泉地の情緒が薄れてしまいます。これは温泉地全体から見ると衰退の道に踏み込んでいるんじゃないかとよく感じることがあるんです。

 安藤●私は昭和五十年代に旅館に携わった者ですが、恐らく昭和四十年代までは高度経済成長に支えられて、旅館は順調に歩んできたのではないかと考えます。その背景には、住宅事情もよくなく、国民の生活レベルが低かったということがあります。旅館の部屋の什器備品は立派なものを使っていたと思うんです。その時代は成長経済に支えられて楽であったわけですが、それが昭和五十年代に入ってからだいぶ変わったのではないかと思います。国民生活も高度なものになったし、消費者ニーズも多様化してきました。もう一つの変化はわれわれ既存の旅館からしますと、資本力の大きなホテルが進出してきました。
 そういう中で、何か人々の心を引きつけるイベントとか、そういうものを考えていかなければならないと思います。それは小さなものでもいいですし、史跡とかを見直すことも大事ではないかと思います。

 井島(編纂委員)●最近はどこの都市といわず地方といわず、「活性化」という言葉が合言葉になっています。箱根は活性化を計画していないのかと思って、町の観光対策室へ行って聞きましたら、驚くことにもうとっくの昔、昭和五十一年に二十一世紀を目指した「箱根町新総合計画」というのができていたんですね。来年がこの新総合計画の目指した完結の年です。この計画はまた新しくスタートするようですが、今後のプランの中にその優先順位をみんなで爼上にのせてやらなければ、竜頭蛇尾に終わるおそれもあります。
 旅館業や寮それぞれの自己規制が当然出てこなければいけないと思うんです。弱肉強食、モラルも何もなくしてやるということでは、その良識をこれから問われるのではないかと思います。現在、中小旅館は耐用年数からいっても、そろそろ再投資の時期に来ています。何とかしてお互いの良識で、質的競争を念頭に置きながらやっていく。力のある人がむやみに規模を拡大するのではなく、そこはやっぱり良識を持って競争しないとお互いに墓穴を掘ることになりはしませんか。

 松坂●協調も大事だけれども、やはり競争ということも大事なんですね。これを失うと情熱がなくって元も子もなくなる。

 草柳(編纂委員)●最近では湯本、塔之沢でもだんだん旅館のマンモス化が進み、協調という点については難しいところがあります。先ほど大木さんから湯本、塔之沢は落ち込みがないというお話がありましたが、個々の旅館で見ると中小の旅館は年々落ち込んできた。小旅館の今後のあり方には悲観的な要素が多分にあり、後継者ができにくい状況になっております。つまり、情熱が失われそうなんですね。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

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