【箱根カルデラ】

 箱根の地形図を広げて見ると、箱根火山の中央部に直径一二×一0キロメートルの鍋状凹地がある。その中央に神山などの中央火口丘がある。火山体にある大型鍋状凹地を火山学ではカルデラと呼ぶ。カルデラとはスペイン語で鍋という意味である。十九世紀の始め、大西洋に浮かぶ火山島カナリー諸島のパルマ火山を調べていた火山学者ブッフはその火山体上部にある大型鍋状凹地に強い関心をもった。島の人々がそれを「おなべ」カルデラと呼んでいたので、「これは良い表現だ」とばかりに火山学用語に採用されたのが始まりである。以後、世界の火山の研究が進むと、多くの火山にカルデラが発見され、カルデラの成因は火山学の重要な課題として今日にまで続いている。

 箱根という地名はカルデラ地形とおおいに関係がある。高い山頂から箱根カルデラをながめると環状尾根が中央火口丘や芦ノ湖を囲んでいる。鍋ともいえるし、箱型の地形ともいえるので、それでは箱根としようということになったのであろう。もし、十九世紀の始めころ、日本に火山学があり、ヨーロッパの火山学より進んでいたならば、火山体に生じた大型鍋状地形は「箱根」と呼ばれるようになったかもしれない。
 なお、ハコネの語源については、中国北部や朝鮮の古語に由来するという考えもある。ハコは神仙、ネは山という意味で、ハコネとは神の住む山を意味するという(中野 一九六九)。
 いずれが良いか判定は未だくだされていない。ただ、箱根には「箱根」と名付られた山はない。足柄山塊の中に環状尾根で囲まれ、東海道にドッカと座っている山塊の総称、つまりカルデラ地形を指しているものと解したい。
 箱根にカルデラが生じる前は、富士山型をしたもっと高い火山であった。カルデラが形成されて台形のズングリ形の火山に変わってしまった。

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

【カルデラ鍋の不思議】

 箱根の河川、道路、温泉の分布はカルデラ鍋の形に逆えない。道路を例にとると、カルデラ内の道路は環状である。環状道路の難しさは方向感覚が麻ひして、北に向かって進んでいたら、いつのまにかカルデラの南に来ていたと言うようなことになる。同様な体験は、東京を山手線に乗って一周すれば、誰でも西も東もわからなくなるのと似ている。冬の箱根は晴天が多く、その反対に、夏の箱根はいつも雲の中である。雲のなかにはいると、ひどい時には数メートル先も見えなくなる。おまけに環状道路であるから、方向感覚は一層メチャメチャとなる。正確な地図も、磁石も持たない昔の人々は道を間違えると大変なことになった。無事に山を下りるまでおおいに苦労したことであろう。
 今でも、天気の悪い日に、車で走っていたら、いつの間にか元の所にもどっていた。そして「箱根には人を迷わす大狐がいるに違いない」とボヤク話は何度もきいている。

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【箱根火山の構造と生い立ち】

 温泉の立場から箱根火山を見ると、さしずめ火山は大型湯沸し釜である。湯沸し釜の内部の仕組みを知ることは、温泉をいつまでも枯らさずに伝えていくためにも大切なことである。
 箱根火山の地質構造は東京大学の久野久教授によって詳しく調べられた。久野の研究は世界の注目を集め、箱根は火山学研究のメッカとなっている。
 久野は箱根を三重式の火山と表現し、箱根を構成する山体が、二重の外輪山と中央火口丘の三要素よりなることを明らかにした。久野の見方では箱根をみると、この火山の構造が大変分かりやすくなる。

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【地形】

 箱根カルデラは早川と須雲川の二大渓谷によってその東側が深く刻み込まれ、ちょうど相模湾に向かって開口したようになっている。このため、よく晴れた日に湘南海岸から箱根を眺めると、三重式火山の輪郭ばかりでなく、カルデラの中までうかがうことができる(図3)。
 箱根山塊の左右に長く裾をひく雄大な山体が古期外輪山である。この斜面を滑らかにたどり、空中に富士山形の雄大な円錐形火山を想像することができる。久野は、グラフ用紙を用いて円錐形火山体の復元を試み、初期の箱根火山体は標高二七00メートルであったと推定した。
 円錐火山体の中腹から上部を切り取り、残った台形の上面をなす山稜が古期外輪山である。C字形の山稜をたどると、塔ノ峰(五六六・三メートル)、明星ヶ岳(九二三・九メートル)、明神ヶ岳(一一六九・一メートル)、火打石岳(九八三・四メートル)、金時山(一二一二・五メートル)、丸岳(一一五四メートル)、三国山(一一〇一・八メートル)、箱根峠(八四九メートル)を経て大観山(一〇一一メートル)、白銀山(九九三・一メートル)、聖岳(八三八メートル)と続く。なお、久野はカルデラ壁南端をかたちづくる鞍掛山(一〇〇四メートル)と孫助山(九五六メートル)は湯河原火山を外輪山として、箱根古期外輪山から区別した。
 箱根カルデラの直径をなす金時山~大観山の距離は一二・五キロメートル。これに直交する東西の短径は一〇キロメートルである。
 カルデラ東部にある標高八〇〇~九〇〇メートルの浅間山(八〇二・二メートル)、鷹巣山(八三七メートル)、屏風山(九四八・一メートル)及び碓井峠八二〇メートル等の平頂山体が新期外輪山である。これらの平頂山はかつて古期カルデラを満たして生まれた楯状火山体のなごりである。あとで述べるように、久野の優れた研究の一つのポイントはこれら平頂山体を新期外輪山として独立した単元にしたことである。
 カルデラ内に北北西ー南南東に並んでいる小塚山(八五三メートル)、台ヶ岳(一〇五四メートル)、神山(一四三八・二メートル)、陣傘山(一三二五メートル)、駒ケ岳(一三六〇メートル)、上二子(一〇九〇・八メートル)及び、下二子(一〇六四メートル)が中央火口丘である。

図3 湘南海岸から見た箱根火山

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【基盤岩類】

 箱根火山噴火の舞台となっている岩石は湯ヶ島層群、早川凝灰角礫岩層、須雲川安山岩類及び足柄層群と名付けられた地層である。

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【湯ヶ島層群】

 伊豆の湯ヶ島に広く露出する暗緑色の緻密な火山性海底堆積物にその土地の名称をとって付けられた地層名である。今から二五〇〇万年前、地質時代でいうと中新世、海底で行われた激しい火山噴火で数千メートルもの厚い火山性物質が堆積した。箱根では早川の堂ヶ島付近及び須雲川の奥湯本付近にわずかに露出する。しかし、温泉ボーリングではこの火山の基盤として広く存在していることが確認されている。
 箱根、伊豆地方の温泉は湯ヶ島層群中の割れ目系の中に胚胎されている。古くから、「湯ヶ島層群の露出するところに温泉はある」とか、「ボーリングが湯ヶ島層群に到達すれば温泉が得られる」などといわれて、湯ヶ島層群は温泉にとって重要な地層である。
 この地層は強い温泉変質作用を受け、緑泥石、沸石、方解石などの二次的鉱物が生じている。湯ヶ島層群の岩石が暗緑色をしているのは、緑泥石の生成による。湯脈の割れめには白色鉱物が生じている。それらは方解石、沸石、石英、曹長石などである。

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【早川凝灰角礫岩層】

 早川及び須雲川の深い谷にそって分布する淡褐色の安山岩~デーサイト質凝灰角礫岩類に早川の地名を付けて早川凝灰角礫岩層とよぶ。互層する凝灰岩層には堆積時の縞模様がめだつ。湯ヶ島層群の上に不整合にのり、この地層の厚さは約三〇〇メートルである。東あるいは北東に一〇~三〇度傾斜する。須雲川の支流二ノ戸沢でこの地層から二枚貝などの化石が産し、鮮新世と同定されている。化石は浅い海に生息する種類であることから、この地層は浅い海で堆積した火山性の角礫岩類である。
 地熱活動により弱い変質をうけ、スメクタイト、方解石、沸石、石英、曹長石などの二次鉱物が生じているが、源岩の構造は良く保存されている。

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【須雲川安山岩類】

 早川凝灰角礫岩層の上に重なる暗灰色の安山岩質溶岩及び火砕岩類で、良く露出している須雲川の地名をつけて須雲川安山岩類と呼ぶ。地質年代は早川凝灰角礫岩層とほぼ同じの鮮新世である。早川凝灰角礫岩層と同程度の弱い熱水変質をうけている。

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【足柄層群】

 古期外輪山北麓で酒匂川に沿う谷に足柄層群と名付けられた礫岩に富む上部鮮新世~中部更新生の海底堆積物が箱根の基盤として露出する。温泉にはあまり関係がないので詳しい記載をはぶく。

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【箱根火山の生い立ちー久野モデル】

 箱根火山の地下構造を理解するにはこの火山の生い立ちをたどるのがわかり易い。久野(一九五二)は箱根火山の生い立ちを図6にまとめた。久野モデルが示された以後、大磯丘陵での火山層序学の研究が大発展した結果(町田洋 一九七八)、久野モデルの修正が必要になっている。それらの資料を加えてこの火山の生い立ちをたどってみよう。

図6 箱根火山成長の久野モデル(久野 1952)

表6 箱根火山層序(久野 (1952)に年代資料を加えた)

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