カテゴリー別アーカイブ: 5.戦時下の箱根温泉 -日中戦争から太平洋戦争へ-

【激化する都市空襲】

 昭和二十年(一九四五)に入ってからは戦局もますます重大になり、都市を初め港湾に対する空襲が頻繁になった。横浜市には昭和十九年十二月の鶴見、港北の空襲を最初に連日のように米軍機が来襲した。このような情勢下で箱根に疎開した … 続きを読む

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※本文書は昭和61年発行の『箱根温泉史』記載事項です。現在の事実とは異なる部分があります。

【父母のもとへ】

 昭和二十年(一九四五)八月十五日、日本は敗戦を迎えた。空襲におびえながら遠く離れた我が子を気づかう横浜の父や母にも、安堵の時が流れた。やがて、八月三十日、連合国総司令官マッカーサー元師が幕僚を引きつれ、厚木飛行場に到着 … 続きを読む

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【陸軍病院臨時箱根療養所】

 箱根が陸軍病院の療養所、又は分院として傷病将兵の療養のため活用されたのは、第二次大戦のみではなかった。日露戦役の傷病兵を治療するため、明治三十七年(一九〇四)八月十八日に芦ノ湖畔に収容された軍人は、一一七八人であった( … 続きを読む

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【箱根分院での温泉治療法】

 ここでは、傷病に効果のある温泉療法が研究されていた。入浴療法は古来医学界から認められていたが、箱根分院では「温泉泥」の患部塗布が治療効果をあげていた。このため大涌谷から温泉泥を木箱に詰めて箱根登山電車で強羅から湯本駅ま … 続きを読む

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【終戦と箱根療養所】

 八月十五日に終戦の詔勅が発せられ戦争は終わった。当然ながら中央軍政の指揮命令系に乱れが生じ、特に総指揮官が軍医官であった箱根分院では統制が失われて、元気な傷病兵はいち早く無断で帰郷し、各宿舎には重病患者だけが残された。 … 続きを読む

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【在日外国人の箱根疎開】

 戦局が切迫した昭和十九年、外務省は空襲時における在京外交官とその家族の避難に関し、関係諸官庁と協議の結果、疎開場所を箱根と軽井沢に決定、箱根では富士屋ホテルと強羅ホテルを指定した。  富士屋ホテルを宿舎としたのは、ドイ … 続きを読む

カテゴリー: 4.戦時下の外国人 | コメントをどうぞ

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【ドイツ海軍部隊の箱根宿舎】

 枢軸国ドイツ海軍の兵士一三〇名が箱根にやって来たのは戦局が激化しつつあった昭和十八年四月である。昭和二十二年二月、占領軍の手によって本国に送還されるまでの四年間を芦之湯で過ごした。  ドイツ海軍は、第二次世界大戦当初か … 続きを読む

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