戦後箱根芦之湯朝日・弁天山から黒曜石製石器が発見され、話題となった。その後の調査によりこれら石器は、いまから約一万二、三〇〇〇年前の無土器時代といわれるころのものであるとわかった(『箱根町誌』1・坂 ...
足柄の箱根山に栗蒔きて 実とはなれるをあわなく怪し 万葉集には箱根山を詠じた歌が三首収められている。この時代となると箱根山とそれに連らなる足柄山は、東国と西国をわける境の山と見られるように ...
伝承ではあるが、箱根温泉の開湯を伝える史話が見出されるのも、やはりこの時代からである。「熊野権現願文」(早雲寺文書)によれば、天平十年(七三八)、関東に疱瘡が蔓延し、人々は病苦に悩まされた。この時加 ...
湯本より湯坂山・浅間山・鷹之巣山など箱根新期外輪山の峰々を通り、芦之湯へ下り、精進ヶ池の淵を経て箱根権現に向かい、それより芦ノ湖畔の芦川宿から箱根峠を経て三島に至る道を湯坂路という。 この道がいつ ...
この湯坂路は、箱根往還路というだけでなく、源頼朝をはじめとする鎌倉幕府の歴代将軍・要人たちの箱根権現への参詣道でもあった。 頼朝は治承四年(一一八〇)の挙兵の際にも援助を受けた伊豆・箱根両権現を崇 ...
湯坂路が箱根越えの道、二所詣の参詣道として人々に利用されはじめると、湯坂路の起点にあたる湯本は宿場としてにぎわい始める。仁治三年(一二四二)「東関紀行」の作者は湯本に宿泊、「箱根の山につきにけりーこ ...
はこねは雪いまだふらず、霜ぞこほりて道はことにすべりて、あやふきこと かぎりなし。からうじてあしかわといふ山のなか、みづ海のはたにたち入りぬ。 高き山のいただきひろさ三十町なり。にしのか ...
以上鎌倉時代の確実な資料から湯本・芦之湯がこの時代から存在した温泉であることを述べてきたが、箱根温泉に関しては、もう一つ興味深い資料がある。金沢文庫文書中にある「沙門祐賢書状」である。長文なので箱根 ...
元弘元年(一三三一)後醍醐天皇は、鎌倉幕府討伐のためのクーデターを謀った。が、六波羅探題に知られ失敗、隠岐に流された。この変を契機として足利尊氏、新田義貞らの反幕勢力が諸方で挙兵し、北条氏は滅亡、建 ...
南北朝から室町に至る動乱の時代に残された箱根温泉の史料としては、底倉堂ヶ島に関する「夢想国師御詠草」がよく知られている。 相模国にそこくらという温泉に下り給ひけるに、其山の奥の人里もつつかぬ谷の ...