新しい温泉場がつぎつぎと誕生していくなかで、箱根温泉の旅館経営は、どのように変わっていったのであろうか、また湯宿から温泉旅館という名で呼ばれるようになった大正・昭和期の箱根温泉においてどのような旅館 ...
明治十年(一八七七)発行の「箱根熱海温泉道案内」は、箱根七湯の宿料を次のように紹介している。 箱根七湯温泉旅籠中喰及賄料 一 金 二銭 一日一名分 温泉料 但 ...
明治二十五年七月の横浜毎日新聞は避暑案内の見出しで箱根温泉の宿泊料を次のように報じている。 湯本 三五銭 から 一円 塔之沢 二五銭 から 七五銭 宮之下 四 ...
温泉宿組合は明治三十九年の宿泊料金等を組合規程第一八条に詳細に定めている。 第十八 物価席料及入浴料等ハ左ノ範囲ニ依ルモノトス但軍人行軍ノ節学校生徒運動会等ノ場合ニ於 テ此範囲外ニテ宿泊セシ ...
大正時代に入ると箱根の交通は面目を一新する。大正二年(一九一三)貸切自動車が箱根の山道を走りはじめ、人力車やチェアーに代わった。大正八年六月一日、登山電車が湯本・強羅間に開通し、国府津・箱根町に乗合 ...