戦局が切迫した昭和十九年、外務省は空襲時における在京外交官とその家族の避難に関し、関係諸官庁と協議の結果、疎開場所を箱根と軽井沢に決定、箱根では富士屋ホテルと強羅ホテルを指定した。 富士屋ホテルを ...
枢軸国ドイツ海軍の兵士一三〇名が箱根にやって来たのは戦局が激化しつつあった昭和十八年四月である。昭和二十二年二月、占領軍の手によって本国に送還されるまでの四年間を芦之湯で過ごした。 ドイツ海軍は、 ...