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箱根のオンライン百科事典「箱ペディア」

【さまざまな試み】

 道路開削と交通機関の整備を核として進められていった箱根温泉の近代化の歩みのなかには、そのほかにも取りあげなければならぬ近代化へのさまざまな試みがあった。  すでに前節でも触れたが明治維新以降箱根には ...

【洋風建築の旅館】

 文明開化の波をいち早く受けとめ、箱根を新しい温泉場へと転換させようとする動きは、明治初年代から十年にかけて、箱根七湯の各地に建てられていく洋風旅館の姿にも見出すことができる。  湯本の福住正兄が明治 ...

【全国に先がけた特設電話】

 明治四年(一八七一)三月一日、箱根宿旧本陣石内弥平太宅に郵便取扱所(後の郵便局)が設置された。東京と京都・大阪の間に新式郵便業務が開始した日である。つづいて明治七年十二月十六日、宮之下郵便局が奈良屋 ...

【文明の光点る】

 明治二十四年(一八九一)春、本館の落成成った宮之下富士屋ホテルの全館に電灯が点った。  創立後間もない明治十六年、宮之下の大火ですべての建物を失った山口仙之助は、本館の新築にあたって、火災危険の多い ...

【写真館の開業】

 箱根の温泉場が近代化への道を歩みはじめた明治十一年(一八七八)宮之下に早くも写真館が店を開いた。島周吉写真館である。周吉は、堂ヶ島に江戸時代から湯宿を営む江戸屋吉五郎の二男であった。  明治の初め、 ...

【函嶺医院の開院】

 明治二十年代に入ると箱根への交通はしだいに便利になった。東海道線は国府津まで延長され、国府津・湯本の間には馬車鉄道が開通し、湯本から宮之下への車道も完成したからである。温泉場も七湯に加えて、小涌谷に ...

【耕牧舎の設立】

 明治二年(一八六九)に仙石原裏関所が廃止されて十年余り、山奥の仙石原に開発の手が入れられる。渋沢栄一、益田孝等による耕牧舎牧場の出現である。  かねてより毛布の製造に着目し、緬羊の飼育を計画していた ...

【ベルツと温泉治療】 

 近代国家建設のため、欧米先進国の文明吸収に力を注いだ明治新政府は、数多くの権威者をこれらの国から召聘して、立ち遅れていた我が国文明の向上を図った。明治二十九年(一八九六)六月、東京医学校(現在の東京 ...