道路開削と交通機関の整備を核として進められていった箱根温泉の近代化の歩みのなかには、そのほかにも取りあげなければならぬ近代化へのさまざまな試みがあった。
すでに前節でも触れたが明治維新以降箱根には、横浜の居留地に滞在する外国人が多数避暑などを兼ねて来湯するようになった。これら外国人の影響もあり、箱根は文明開化の光をいち早く受けとめていったのである。
それらの象徴が箱根温泉の各地に建てられていった擬洋風旅館、洋風ホテルであったり、また全国に先がけて特設された電話、京都の蹴上発電所(明治二十四年)についで日本で二番目に設立された箱根電灯発電所(明治二十五年)、あるいは宮之下にこの地方では最初の写真館を開いた島周吉の姿にもそれを見出すことができよう。
更に渋沢栄一によって試みられた仙石原耕牧舎の設立や、ドイツの医学者エルヴイン・ベルツに試みられた箱根温泉による一大温泉療養所建設計画などにも箱根山の近代化にかけたさまざまな夢の足跡を見出すことができよう。