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箱根のオンライン百科事典「箱ペディア」

【豆相地震と世界恐慌】

 関東大震災の深い傷あとから箱根山がようやく立ち直りつつあった昭和五年(一九三〇)、再び大地震が箱根を襲った。昭和五年十一月二十六日午前四時三分、伊豆半島及び箱根を中心に起きたいわゆる豆相地震である。 ...

【箱根振興会の設立】

 昭和に入って箱根の観光整備、宣伝の中心になって活躍する箱根振興会の諸事業は、今日から見てもめざましいものがあり、今日の箱根観光の基礎は、この時代に確立されたといっても過言ではない。そこで箱根振興会の ...

【箱根振興会の活動】

 では箱根振興会が手掛けた事業は、具体的にどのようなものであったであろうか。箱根振興会及び箱根温泉旅館組合の合同報告による、昭和四年(一九二九)度事業報告からその一端をうかがってみよう。     昭和 ...

【温泉音頭の誕生】

  二つ流れもネ   遇ふ瀬の湯本   しのび寄り添ひ  岩に寄り添ひ     ヘッチョイ  鳴く河鹿   ほんのり  ほんのり湯の煙     箱根・湯の山  湯の煙     ヘッチョイ  ヘッチョイ ...

【小田急の開通】

 「本県を縦走する小田原急行鉄道・けふ愈々開通の喜び・開発する沿線 甦生する名所旧所」、昭和二年(一九二七)四月一日の「横浜貿易新報」は、大見出しで、このように小田原急行鉄道開通を伝えている。新宿―小 ...

【丹那トンネルを抜けて】

 関東大震災によって大きな打撃を受けた国鉄も、いち早くその応急的な復旧工事を実現すると、更に輸送力増強という時代の要請に応じ、施設の整備・改良を進めていった。大正十年(一九二一)五月一日、横浜―大船間 ...

【交通戦争の激化と大資本の進出】

 小田急の開通、国鉄東海道線の整備により京浜地区で箱根温泉を訪れる行楽客が増加する中で、小田原から箱根へ向かう乗客をめぐって自動車事業を中心に箱根山において競争が激化していった。  箱根山における自動 ...

【採掘法の近代化と温泉紛争】

 前述のように箱根山において交通機関の近代化が進められていくのは、大正末期から昭和初期のことであるが、温泉採掘技術もこの年代において急速に近代化されていった。従来箱根山における温泉は、早川渓谷沿いの自 ...

【箱根温泉協会の設立】

 このようなトラブル解消のため、昭和四年(一九二九)、温泉の活用、既存温泉の保護、新旧源泉紛争への介入調停、温泉台帳の整理を目的とした箱根温泉協会が設立された。  温泉試掘をめぐる問題は、税制の問題へ ...

【湯本温泉をめぐる紛争】

 温泉紛争は先にも述べたような県警当局の行政指導の不手際もあり、なかなか止まらなかった。湯本・塔之沢地区で起きた紛争はその典型であろう。大正十五年(一九二六)小田原市八幡山に建設予定の小田原ホテルに地 ...