箱根温泉 箱ぴた > 箱ペディア

箱根のオンライン百科事典「箱ペディア」

【明治・大正期の組合活動】

 第一章で述べたように、七湯の宿主達は天保十四年(一八四三)に、お互いの健全な営業を守るための規約をつくり、厳しい罰則を定めて、自粛の申し合わせをしている。今日の旅館協同組合の素地は、江戸時代にすでに ...

【箱根温泉宿組合の結成】

 明治二十九年(一八九六)に設立された「箱根温泉宿組合」については、第二章第八節に詳述してあるので、本稿においては、その時に作成された「箱根温泉宿組合規約」及び、組合設立に関係の深い「明治二十二年県令 ...

【箱根温泉宿組合共楽会】

 さて宿組合の行事を榎本恭三に譲った安藤兵治は、組合の外郭団体ともいえる「箱根温泉宿組合共楽会」を設立した。設立趣意書に見られるように、組合員有志による親睦と相互扶助を目的とした無尽の 会であったと思 ...

【大正期の組合活動】

 大正時代に入ると、人力車やチェヤーは次第に姿を消して自動車にかわり、箱根の交通は面目を一新した。富士屋ホテル八十年史は「大正三年(一九一四)春季は漫遊客激増して近年稀に見る好況であった」と箱根の活況 ...

【箱根復興会への協力】

 第二章で述べたように関東大震災は、箱根全山に猛威をふるい、主要道路は各地で分断された。その中でも湯本-宮之下を結ぶ国道一号線は、箱根山を結ぶ主幹道路であり、その復旧は箱根温泉の生死にかかわる緊急課題 ...

【温泉宿組合から温泉旅館組合へ】

 箱根温泉宿組合が発展途上にあった大正末期から昭和初年にかけては、世の中のすべてが大きく脱皮する時代であった。大正十四年十月二十六日には、神奈川県の宿屋営業取締規則の一部改正が県令六十一をもって公示さ ...

【昭和初期から戦後までの組合活動】

 大正十五年一月二十日、宿組合を改組して設立された箱根温泉旅館組合は昭和二年一月十七日正式の認可を得、翌三年二月六日組合長に石村喜作が就任した。箱根振興会と表裏一体となり昭和初年代旅館組合が繰りひろげ ...

【観光事業の創案】

 観光宣伝では、交通機関の発達、商業新聞の普及など新しい大衆化時代を迎えて、その宣伝のメディアを新聞広告、ポスターに求め、積極的に観光宣伝を開始したこと、また箱根大名行列をはじめとする観光諸行事、たと ...

【箱根観光博覧会の開催】

 昭和十年四月、湯本に於いて開催された箱根観光博覧会は、箱根振興会並びに旅館組合が行った特筆すべき事業であった。横浜市が震災復興記念大博覧会の計画を発表すると、振興会は箱根を第二会場として観光博覧会を ...

【諸課税に対する反対陳情】

 組合が、前記諸事業の実施とともに、中央の施策に対応していかねばならなかったものは、旅館営業に課せられた諸課税に対する前後策であった。  温泉宿組合から温泉旅館組合に移行した昭和初年代から、国庫財政は ...