第二章で述べたように関東大震災は、箱根全山に猛威をふるい、主要道路は各地で分断された。その中でも湯本-宮之下を結ぶ国道一号線は、箱根山を結ぶ主幹道路であり、その復旧は箱根温泉の生死にかかわる緊急課題であった。
そのため箱根全山の町村では、震災後その復旧に直ちに着手すべく、町村長を先頭に神奈川県に請願した。しかし県当局の回答は冷たく、当面本格的な復旧工事の実施は望めなかった。このため関係町村の有志があつまり、「箱根復興会」を組織し、自力による復旧工事に着手することになった。箱根温泉宿組合では、この動きに全面的に協力、すでに大正八年ごろより箱根の道路開発や維持活動をしていた道路委員、執行部ともども箱根復興会のなかで主導的役割を果たした。残念ながらこのときの復興会の組織、道路委員のメンバーなどについての資料がなく、詳述できないが、大震災後の復旧活動に宿組合の果した役割は、極めて大きかったと思われる。
【箱根復興会への協力】
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