大正時代に入ると、人力車やチェヤーは次第に姿を消して自動車にかわり、箱根の交通は面目を一新した。富士屋ホテル八十年史は「大正三年(一九一四)春季は漫遊客激増して近年稀に見る好況であった」と箱根の活況を伝えている。強羅園(後の強羅公園)が開園したのもこの年であった。翌四年からは第一次世界大戦の成金景気と呼ばれた時代である。箱根温泉も賑わいを見せ、箱根を訪れる皇族や高官名士を当時の新聞は度々報じている。この頃、箱根保勝会は全山の環境保全と整備のため名所旧蹟の保護や登山道の開削、修理に力を注いでいたが、宿組合もその費用の一部を分担した。
大正八年六月一日待望の登山電車が開通、バスが国府津・箱根町間に運行を開始すると、箱根山は一躍大衆観光地として脚光を浴びるようになった。これに呼応して、宿組合は誘客宣伝に本格的に乗り出し事業費の大半を広告料と宣伝費に充てている。
大正八年度箱根温泉宿組合決算
一、収入額
収入総額 三、四五九円一八銭
内訳 八八五円六〇銭 前年度繰越金
四二円二〇銭 預金利子
五二二円〇一銭 経常費微収高
一五円 寄付金
一、四四七円一二銭 広告料微収高
三九七円二五銭 小田原電灯会社ヨリ広告料収入
一五〇円 富士屋自動車ヨリ広告料収入
一、支出額
支出総額 二、七一八円八〇銭
内訳 九円三六銭 基本造成費
二一三円五七銭 総会及委員会費
三二八円八九銭 臨時費
一、五八九円〇四銭 広告料及附帯費料
一五一円一〇銭 遊覧道路費
一一円六六銭 印刷費
一七円七九銭 消耗品費
三〇円 実費弁償費
一五円 書記手当
二三円五〇銭 通信運搬費
一五三円五六銭 組合基本金(年六分五厘一ヵ年定期関東銀行預ケ)
一七三円六三銭 温泉案内出版準備金
一円七〇銭 温泉案内残金
一、差引残高 七四〇円三八銭 翌年度へ繰越
宣伝関係の支出は温泉案内の出版準備金を合わせると一、七六四円で、事業費の実に七割を占めている。また遊覧道路費として一五一円を支出し環境整備に一役を買う他、基本金を積立て組合財産の保全に努めている点が注目される。一方、人件費としては書記手当の一五円を支出するのみで、当時の組合役員が手弁当で事業の執行に当たっていた様子を知ることができる。
【大正期の組合活動】
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