湯本より湯坂山・浅間山・鷹之巣山など箱根新期外輪山の峰々を通り、芦之湯へ下り、精進ヶ池の淵を経て箱根権現に向かい、それより芦ノ湖畔の芦川宿から箱根峠を経て三島に至る道を湯坂路という。 この道がいつ ...
この湯坂路は、箱根往還路というだけでなく、源頼朝をはじめとする鎌倉幕府の歴代将軍・要人たちの箱根権現への参詣道でもあった。 頼朝は治承四年(一一八〇)の挙兵の際にも援助を受けた伊豆・箱根両権現を崇 ...
湯坂路が箱根越えの道、二所詣の参詣道として人々に利用されはじめると、湯坂路の起点にあたる湯本は宿場としてにぎわい始める。仁治三年(一二四二)「東関紀行」の作者は湯本に宿泊、「箱根の山につきにけりーこ ...
はこねは雪いまだふらず、霜ぞこほりて道はことにすべりて、あやふきこと かぎりなし。からうじてあしかわといふ山のなか、みづ海のはたにたち入りぬ。 高き山のいただきひろさ三十町なり。にしのか ...
以上鎌倉時代の確実な資料から湯本・芦之湯がこの時代から存在した温泉であることを述べてきたが、箱根温泉に関しては、もう一つ興味深い資料がある。金沢文庫文書中にある「沙門祐賢書状」である。長文なので箱根 ...