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【明治・大正期の組合活動】

 第一章で述べたように、七湯の宿主達は天保十四年(一八四三)に、お互いの健全な営業を守るための規約をつくり、厳しい罰則を定めて、自粛の申し合わせをしている。今日の旅館協同組合の素地は、江戸時代にすでにつくられていたのである。
 明治十年から二十年代にかけて、宮之下富士屋ホテルの山口仙之助を皮切りに、箱根山の将来に期待をかけて進出する外来の旅館主が次々に現れた。七湯の宿主はこれら新参の旅館主を秩序の中に取り入れる必要があったであろうし、加えて、神奈川県も明治二十二年に「宿屋営業取締規則」を定め、宿屋営業者の組合設置を規定したので、電話はおろか満足な道路とてなく、互いの連絡もままならぬ苦難を克服して、明治二十九年に箱根温泉宿組合を結成した。
 その後、新規に開業する旅館を加えながら、名称を箱根温泉旅館組合(大正十五年一月二十日)、箱根温泉旅館商業組合(昭和十五年九月二十七日)、箱根温泉旅館施設組合(昭和十九年七月十九日)、箱根温泉旅館商業協同組合(昭和二十二年四月十二日)と変え、更に昭和二十五年五月二十二日、箱根温泉旅館協同組合に改組して今日に至った。
 名称や規約の改正は、変化する時代の世情に即応し、行政指導の下に行われたものであるが、その目的とする精神は遠く江戸時代から一貫して引き継がれている。本章では、組合が夫々の時代にどのように対応して来たか、その活動の記録を追ってみたいと思う。

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