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【諸課税に対する反対陳情】

 組合が、前記諸事業の実施とともに、中央の施策に対応していかねばならなかったものは、旅館営業に課せられた諸課税に対する前後策であった。
 温泉宿組合から温泉旅館組合に移行した昭和初年代から、国庫財政は勿論県財政及び町村財政も、国民の納税意識の普及と共に安易にその財源を租税に求めた。特に旅館業に関係の深い鉱泉税新設については、全国の温泉地は一斉に立ちあがり「新税」反対の陳情団が毎日のように各県庁や税務官庁へ廃止要望を行った。組合も、箱根温泉組合(後の温泉協会)と共に神奈川県へ出頭、観光地の鉱泉に対する課税阻止を陳情した。組合は更に単独で昭和二年十一月二十一日に県へ陳情している。
 また昭和三年には所得税の賦課が大幅に増額されたので、小田原税務署管内の「所得税調査委員会」には組合から選出されていた小川仙二の外に、石村喜作、鈴木七郎、福住九蔵、安藤好之輔、蔵田全蔵、森半次郎の六人が追加された。所得税のほか遊興税の課税制度も実施され、この二つの税に対する対応は組合の主要な業務となった。時には、湯河原、熱海、伊東方面の納税方法と旅館の担税度なども調査研究した。
 この頃の国税県税は、年間所得の見込額に対する課税であったので、年度営業収益額を署内で一まず査定した後、税調査委員会と協議し再決定したのである。したがって、税調査委員会の存在が重要な役割を果していた。ときには税務署の見込額より減額となることもあった。組合は税調査委員が持ち帰る賦課総額を組合員に配分して、納税額を徴集し納付することになっていた。したがって、この税額の割当には大変な苦労があったということである。
 昭和十二年七月、蘆溝橋爆破事件に端を発した日中戦争が次第に戦域を中国大陸に拡大すると、政府は戦時予算の膨張に対処するため、「支那事変特別税法」を設けて税の強化を図った。
 過酷な税として全国旅館連合組合の激しい抵抗をうけた遊興飲食税は、昭和十四年当時の内閣が関係団体の反対抵抗の中で非常時国策を前面に掲げ「支那事変特別税」として強引に制定公付したものである。旅館組合も全旅連傘下の組織として抵抗運動をおこしている。

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