芦ノ湖の水は古来早川に流れ相模湾に注いでいた。
寛文十年(一六七〇)湖尻峠の下にトンネルを作って芦ノ湖の水を静岡県側へ流し、かんがい用水としたが、この時、六月から九月までの四か月間、芦ノ湖から早川への流出口は土俵でせき止められた。
しかし、秋から春までの間は深良水門を閉じて貯水をはかりながら、余分な水は早川へ流出していた。
大正十二年(一九二三)、東京電灯の深良発電所の業務が開始されてからは事情が一変し、非かんがい期も深良水門は開けられ、一年間を通して毎日十五万トン内外の水が静岡側へ流出している。こうして芦ノ湖の水が年間を通じて早川に流れなくなったために、箱根の自然が受けている影響は大きい。
その第一は景観。濃い緑の深い渓谷を白いしぶきをあげつつ、岩をかむ急流早川の面目が失われてしまった。水量の少ない早川へ各家庭や観光施設の排水が合流して、下水に近い流れに変わっている。この少なくなった流れも、早川に作られた四つの発電所の導水管を流れて、本流を流れる水は極めて少なく、山紫水明の名に実が伴わなくなっている。
第二は地下水や温泉源への影響。早川の水が飲料水や雑用水に使えないため、地下水が各地で無制限に汲み上げられている。このことは箱根の最も貴重な観光資源である温泉の枯渇を招く大きな原因となっている。今日、裾野市一帯は宅地化が進み用水の利用目的も変化している。慣行水利権の合理化と芦ノ湖、早川沿岸住民の水利用について管理者である神奈川県知事の早急な対応が望まれる。
【芦ノ湖の水が早川に流れなくなる】
カテゴリー: 3.景勝地の開拓と保護(大正時代) パーマリンク