終戦処理に必要な国庫収入を確保するため、戦後所得の没収をねらいとして昭和二十一年十一月新設された一回限りの租税であった。昭和二十一年三月三日時点の財産の総額から負債の総額を扶除した金額が一〇万円を越える者に二五パーセントから九〇パーセントまでの超過累進税率によって財産税が課された。
申告に当って、旅館業者に大きな打撃を与えたのは不動産の評価倍数であった。この時の評価倍数は、山林に対しては賃貸価格の二七〇倍、宅地五五倍、家屋は一〇〇倍であったから、他の業種に比べて広い土地と建物を所有する旅館の評価額は膨大なものであった。戦時中、疎開学童や陸軍病院分院の宿泊施設となっていた旅館では、納税に見合う現金、預貯金を持ち合わせず、止むなく公社債や株券などを物納し、不足分は四ヶ年にわたって分納するため、納付の猶予を大蔵大臣及び東京財務局長に申請した。この過酷な状況の中で、営業再開のため建物を修理し、什器備品を整えねばならぬ旅館の労苦は並大抵のものではなかった。