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【大衆レジャー時代の到来】

 昭和三十五年(一九六〇)十一月二十五日の地元新聞「神静民報」は、今年の行楽の総決算として「箱根の宿泊客は二百万・落した金十五億・旅館はマンモス化の傾向」という見出しのもとに、昭和三十五年度の箱根観光業界の総決算報告を掲載している。
 同紙によると、「今年は春夏秋を通じ景気の上向きに幸いされて、箱根山の懐工合も一割五分程度ふくれて、旅館の宿泊客数も去年よりは一割強上っている」とのことであり、「今年の特色は、ウィークデーでも休日と大差ない客足を見せていた旅館が多く、稼働日数が平均していることが最大原因となっており、年間を通じて旅館ホテルに落ちた「大判」は十五億程度」と報じている。
 また同紙は今年の旅館ホテル業界の特徴として小涌園が温泉天国と銘打って収容力を三倍強としたマンモスホテルを開業させたのを筆頭に、旅館・ホテル業が増改築をいっせいに行いマンモス化の傾向があるとも伝えている。
 まさに高度成長化にある箱根の旅館・ホテル業が我が代の春を歌っている状況が活写されている。事実昭和二十九年(一九五四)末の「神武景気」から昭和四十八年(一九七四)の石油ショックに至るまで約二〇年間は、史上空前といわれる日本経済の高度成長時代で、その経済的繁栄のもと、レジャー産業が花開いた時代であった。それは大衆レジャー時代ともいわれ、旅行ブームともいわれ、箱根山を訪れる観光客の数は年々増加していった。
 図1は、箱根町観光対策室が作成した町を訪れる観光客の年度別動態調査であるが、このグラフを一見してもわかるとおり、箱根町を訪れる観光客は、昭和三十五年を基点として年々増加し、石油危機が起こる昭和四十八年の前年の四十七年には、観光客総数二一五三万二一〇五人、宿泊客四八八万六六二三人にも達している。まさに大型レジャー時代の到来を告げる数字である。
 そしてこのような観光客・宿泊客の増加に伴い箱根温泉はさまざまな変化を見せていくのである。

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