急激に増える宿泊・レジャー施設に対応する人手不足も問題化しつつあった。高度成長下大企業は続々と工場設備を拡大し、地方の若手労働者を吸収していった。雇用条件、福祉施設の整った大企業と対抗し、箱根の温泉旅館が人手を確保するのは年々むずかしくなっていった。
毎年春の観光シーズンが近づくと旅館・ホテルのオーナーの最大の悩みは、この求人難をどう解消するかであった。そこで箱根・湯河原の旅館二二〇軒は、昭和三十五年(一九六〇)五月、「国立公園箱根・湯河原温泉旅館従業員受入協議会」を発足させ、人手不足の解消に乗り出した。同会は、小田原公共職業安定所と提携して東北六県や北海道をはじめ関東一円に、関係者を派遣して求人開拓を実施していったが、求人難は依然として続いた。
昭和三十九年(一九六四)二月二十七日の「神静民報」によると、昭和三十八年秋以降箱根・湯河原の旅館から小田原の公共職業安定所に申し込みのあったお手伝いさんの求人数は九三四名、そのうち就職が決まったのがわずか五三名であり、求人数の一割にも達していない。旅館側ではこれらの人手不足を男子従業員でおぎない、ふとん敷き専門の男子従業員を雇ったり、土曜日の繁雑な時は、地元の主婦に臨時的に手伝ってもらったりして急場をしのいでいた。
また慢性化しつつある人手不足に、季節働きのお手伝いさんが国へ帰る時は土産持参で送り届け、家族や本人に来年も是非来てもらえるよう依頼するなどきめ細かい心づかいによりお手伝いさんを確保することに苦慮した。
このような観光地の人手不足は、箱根のみならず全国的なものであり、年々深刻化するという見とおしのもとに雇用体制の向上、旅館の女中さんという、ともすれば低く見られがちな職業意識の改善が真剣に検討されはじめた。
【深刻化する人手不足】
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