昭和四十八年十月、第四次中東戦争勃発が契機となって、OPEC湾岸六か国が協定し、これまで一バーレル約三ドルの原油を四倍の一二ドルに値上げし、同時に生産制限を実施した。大量に石油を輸入していた先進諸国、中でも日本は深刻な打撃をうけた。石油の急激な値上がりと、品不足によって販売が制限され、日曜日、祭日にはガソリンスタンドは閉鎖された。箱根に来る観光客数は二割も低下した。箱根を貫く国道一号線の自動車数は目に見えて少なくなった。
昭和五十四~五十五年、再び原油は二倍強値上げされ、一バーレル三〇ドルに達して、第二次石油ショックと呼ばれている。第一次石油ショックほどに急激な経済的打撃を箱根に与えはしなかったが、このような経過をたどって日本経済の体質は大きく変わり、その波は箱根にも徐々に大きな影響を与えている。
この間の消費者物価の上昇、給与の上昇率の低下によって、国民の実質的収入は低下した。箱根では、旅館・ホテルの宿泊客の減少数が、寮・保養所・ペンションなどの宿泊数増加となっている。
観光客数はどこでも一様に減少しているわけではない。国鉄に比して運賃の安い小田急電鉄のおかげで、湯本・塔之沢の利用者はむしろ増加し、山岳地域の保養所の利用率も上昇している。箱根全体での観光客数は、現在かつての値にまで回復しているが、利用施設の内容はかなり変化をしている。交通費が高くなる箱根の中央・山岳地域で旅館・ホテルが減少し、寮・保養所が増加した。
高度経済成長をなしとげた日本国民の生活レベルは上昇し、最近の住宅の仕様は旅館との差がないところまで発展し、食物に地域の特色を持たせることも容易ではない。国民の旅行、趣味、保養、健康に対する期待はむしろ増大している。この大きい期待にどのように対応したら良いのか改めて考え直す曲がりかどの時期となっている。
(大木靖衛)