昭和二十年後半に入ると、箱根全山の復興は急速に進み、交通機関の発達、旅館・ホテルの増設更には温泉開発など近代的観光地としての基礎を着々と固めていた。旅館協同組合も新規に開業する組合員を加え、長期転貸資金の借入、購買事業の発足など多忙な業務に追われるようになった。このような状況の中で、石村理事長は事務局の体制を強固にするため理事会に諮り、昭和三十年九月梅村七郎を専務理事に選任した。
町村合併促進法に基づいて、箱根町、元箱根村、芦之湯村の一町二か村が合併したのは昭和二十九年一月一日であった。つづいて昭和三十一年(一九五六)九月三十日、箱根町、湯本町、温泉村、宮城野村、仙石原村の全山五か村が合併して新箱根町が誕生した。新生箱根町初代町長の選出は、全山に組織をもつ旅館協同組合にとっても、当然大きな関心事であった。十月十五日理事会を開催してこの問題を協議したところ、基幹産業である旅館組合より町長候補を推すべしとの意見が多数を占め、永年仙石原村長の経験をもつ石村喜作理事長こそ最適任者であるとの結論に達した。石村理事長はこれを固辞したが、安藤茂武常務理事以下役員のたっての懇請により立候補を受諾、同日理事長を辞任して選挙戦に入った。石村陣営は安藤常務理事を先頭に日夜血の出るような選挙戦を展開した結果、組合員の熱意と団結は固く、また石村候補の卓越した見識と人格は町民の信頼を得て見事当選を果し、十一月十五日、新生箱根町の初代町長に就任した。以後、持ち前の強固な意志をもって旧町村の調整にあたり、箱根温泉の発展に大きな足跡を残した。昭和三十九年町長辞任後、箱根町はその功績に報いるため、名誉市民の称号を贈っている。
立候補にあたって一旦理事長を辞任した石村喜作は町長就任後組合員の強い要請に応えて再び理事長の職に就いた。この頃から組合は梅村専務理事が多忙な理事長の代行として業務を執行するようになり、季節労務者雇用の開発や社会保険への加入、転貸融資の執行、購買事業の拡充など活発に活動に入った。
【専務理事の選任と石村理事長の町長就任】
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