箱根温泉 箱ぴた 箱ペディア 【第一次福利施設事業】

【第一次福利施設事業】

 一、所在地   神奈川県足柄下郡箱根町湯本二一〇番地
 二、開始年月日 昭和四十七年八月十五日
 三、土地    借地面積 一、九三七㎡(所有者 小川福則、須藤サト)
 四、建物    建築面積   八五九㎡
         延面積  二、〇二二㎡ 五階建
 五、建設業者名
   (設計及管理) 東京都品川区東五反田五丁目一〇番地 ㈱観光建築設計事務所
   (施工者)   建築工事 神奈川県小田原市久野三〇六九番地 ㈱石綿建設
           給食及炊飯機械設備 静岡県清水市小芝町三番二一号 ㈱石田商会
 六、調達資金
   借入金  雇用促進事業団(三〇年賦 年六・五%)六一、〇〇〇千円
   補助金  神奈川県               一四、九八五
        箱根町                 七、五〇〇
   自己資金                    二六、〇〇〇
                        計 一〇九、四八五
 七、建設資金
   建築工事費                   九七、二九二
   機械器具                     九、一一六
   備品                       二、八六七
                        計 一〇九、二七五千円
 八、施設内容
(一)湯本給食センター
 組合員旅館従業員の副食を工場生産して労働不足を補い併せて健康管理と経費節減の一助とするために設置された事業である。給食センターは組合直営の事業として運営されていたが、五十八年七月㈱銀しゃりに事業を委託し、六十年五月からは㈱井田光が業務を引継ぎ現在に至っている。
  敷地面積 四五〇・七㎡
  建築面積 三九九・八㎡
  構  造 重量鉄骨平家建ブロック造
  給食能力 一回三、〇〇〇食 一日二回(昼、夕食)
(二)湯本炊飯センター
 仙石原炊飯センターに続き石田商会(後に㈱銀しゃりに社名変更)に委託して業務を開始した。湯本地区を中心に自動炊飯機により一釜五〇食分(七K)を連続的に炊き上げ一日平均五、五〇〇食分を朝、夕二回迅速に配送している。利用組合員旅館は組合が貸与した温蔵庫(約七〇度、三〇時間保存可能。)に炊きたての状態で保存できるようになっている。
  納米庫(最大納米量)一、三〇〇kg
  洗米機 毎時      五〇〇kg
  送米機 貯米量     五〇〇kg
  充塡装置 充塡量    五〇〇kg
      (付属器具:計水器、計量器)
  連続自動炊飯機 毎時三、〇〇〇食
 昭和五十年三月より第二次事業施設の一階に移転した。
(三)湯本保育園(昭和四十七年四月一日)
 新規従業員の雇用促進と、その定着化及びパート従業員の円滑な充足を、目的として実施された事業である。計画に当たっては、神奈川県民生部児童課の適切なアドバイスを受け、更に箱根町当局の理解により多額の建設補助金と運営補助金の交付を受けることができたので、組合は初期の方針を変更し湯本地区の準公立保育園として、旅館従業員の他に一般家庭の乳幼児の保育まで拡大受入れをすることになった。また保育内容も旅館の実情に合わせ、他の公立保育園にない二食付完全給食を取り入れ、朝八時より夜間十時まで二部制の長時間保育を実施し乳幼児の集団生活指導と保育を行っている。
  構造 鉄骨平家建 三二三・八二㎡
  内訳 保育室三室、乳幼児室一室、浴室一室、調理室一室、医務室兼職員室一室、
     ボイラー室一室、宿直室一室
  園児 定員 六〇名
  職員 一二名うち主任保母六、助手四、栄養士一、調理師一、ほか嘱託医一
(四)従業員共同住宅
 労働力の不足に伴い旅館では家族ぐるみの従業員や子持未亡人の採用を止むなくされるようになった。また定着している従業員も旅館の建物内に寄宿することを嫌い通勤を望む声が出て来たが極く一部の大旅館を除き、中、小旅館にとっては新たに独立した従業員宿舎を建設することは、資金の上からも実現が困難であった。
 そこでテストケースとして住宅公団並みの2DK宿舎二二戸を建設し、希望旅館に貸与した。更に増築を予定し、その敷地を確保した。
  構造 鉄筋コンクリート五階建一、二〇八㎡
     二階六室、三階六室、四階五室、五階五室、計二二室
     一室 七・五畳、四・五畳、キッチン、バス、トイレ付
     一室につき権利金六〇〇、〇〇〇円
(五)共同マイクロバス事業
 従来から湯本地区では旅館専属の送迎マイクロバス約二〇台が湯本駅との間に無料サービスを行っていたが経費の割に乗車効率が上らず且つ交通渋滞の原因の一つともなり、各方面からその整理統合をせまられていた。また駅前に待機するハイヤーの中には近距離の乗車拒否をするものもあり、その改善が望まれていた。幸い昭和四十六年十二月に無償旅客自動車運送法が施行され、限定された地区での無料バス事業が公認されることになったので、組合員の経費節減、交通緩和、来客への適切なサービスを目標に、各旅館のバスを統合し四地区の運行路線に分け共同運行することになったのである。しかし、その認可決定は既存業者との調整及び運輸行政の複雑な手続きなどのため大幅に遅れ一年余を要した。
 組合保有台数八台 職員数一〇人
 利用方法は、午前中の駅送りを各旅館前に備付のバトライトの点滅で乗車合図を行い、乗客確認をする。午後は小田急ロマンスカー到着ごと(三〇分)に旅館へ宿泊する乗客のサービス運行を実施している。

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