箱根温泉 箱ぴた 箱ペディア 【第二次福利施設事業】

【第二次福利施設事業】

 組合員からの強い要望により、第一次共同住宅につづいて実施された事業である。二階から七階に3DK三〇室、2DK七九室、1DK五室計一一四室を建設し、一階には事務所、会議室、及び流通センターを配置する総工費六億円を超える大型事業であった。資金は雇用促進事業団及び県融資制度からの長期借入金の他、県・町の補助金及び利用組合員の保証金を充て、不足分は金融機関よりの借入金によって賄われた。建設途次、第一次石油ショックに見舞われたが、関係者の善意と協力により所期の目的を達し得たことは幸せであった。

 一、名称    箱根グランドマンション及び流通センター
 二、所在地   神奈川県足柄下郡箱根町湯本二一一番地一
 三、開始年月日 昭和四十九年十二月十三日
 四、土地    借地、面積 四、一五一・二㎡(所有者 小川福則)
 五、建物    建築面積  一、五五三・三㎡
         延面積   八、三三八・二〇七㎡ 七階建
         一階事務局、会議室、流通センター(魚類、青果類)、炊飯センター
         二階~七階 従業員共同住宅
 六、機械設備  廃水処理装置一式(活性汚泥方式)
         エレベーター一基(定員九名、容量六〇〇kg、三菱エレベットPハイホン一一型)
         冷凍冷蔵庫
 七、調達資金
         雇用促進事業団(三〇年賦 年六・五%)    三四〇、二〇〇千円
         神奈川県市街地再開発資金(一〇年八・四%)   二四、〇〇〇
         神奈川県中小企業環境整備資金(一〇年七・五%) 五〇、〇〇〇
         県町補助金                   二九、七三〇
         自己資金                    一五、三七七
         出店保証金                   一二、〇〇〇
         利用組合員保証金               一三一、六六〇
          一〇年後無利子返済 2DK 一、二〇〇千円  七室
                     〃 一、〇〇〇   七一
                    3DK 一、六二〇   三〇
                    1DK   六三〇    二
                     〃   八〇〇    三
                   計 六〇二、九六七千円
 八、建設資金
         建築工事費          五二二、〇二二千円
         冷凍冷蔵庫           二五、二〇〇
         設計料             一五、〇〇〇
         事務室工事費           一、三七二
         水道加入権等           八、五〇〇
         その他(借入元利一部返済含む) 三〇、八七三
                      計 六〇二、九六七千円
 九、施設内容
(一)従業員共同住宅(名称 箱根グランドマンション)
           3DK  三〇室
           2DK  七九室(管理人室一を含む)
           1DK   五室
            計 一一四室
(二)事務室及び会議室
    現場との密接なる連携指導をするための事務局並びに会議室を設置
    事務室  七五・四五㎡
    会議室  四九・〇〇㎡
(三)湯本炊飯センター
    昭和五十年三月移設(跡地は肉類部門開設)
    使用施設面積 三三〇・七二㎡
(四)流通センター
    流通機構の合理化促進のため流通センターを配置して産直の共同仕入による新鮮、低廉な商品を
   供給する。現在次の業者が営業を行っている(昭和六十年十一月)。
    鮮魚部門(四三〇㎡) 株式会社 箱根水産物流センター
    青果部門(一七五㎡) 有限会社 戸田商店
    肉類部門(一九四㎡) 有限会社 中津川商店
    雑貨部門( 九六㎡) 箱根購買事業株式会社

 その後飲料水の衛生管理を改善するため、昭和五十六年十月地下水槽を廃止し、地上式貯水槽(一五〇㎥)を設置した。建設費一、〇〇〇万円は借入金によるものであった。つづいて五十九年には工費八、〇〇〇万円を費やして建物の全面改修を行った。昭和六十年九月二十七日、箱根グランドマンション管理組合(組合長天野堯)が設立され、湯本旅館組合の委託を受けて、本建物及び付帯する一切の物件の維持管理にあたることになった。

 湯本温泉旅館組合は、これらの諸事業のほかに、「株式会社箱根旅館案内センター」を設立、運営している。
 昭和二十六年に実現した小田急電鉄の、箱根乗入れは戦後の旅行ブームに拍車をかけ、湯本駅前の旅行客は当時狭い国道沿いに溢れ、宿泊先の旅館を求め、旅行者の多数は湯本観光協会に殺到して、数少ない職員はその対応に追い回されていた。これの対応策として、組合は各方面からの要望もあって、湯本駅前に直営案内所の設置を考えていた。
 湯本には従来から「客引番頭」の制度があって、それぞれ独自の方法で駅前で宿泊客の客引きを行っていた。戦前からの客引き番頭は、中小旅館に所属し、グループをつくり運営されていたが、戦時中廃止となり、戦後再発足したものである。この当時は番頭の能率を上げるため歩合制が採られ、各旅館の番頭の誘客合戦が激しかった。ときには番頭同士のトラブルが発生し、駅や、観光協会にも旅行者からの苦情が多かった。
 観光地温泉場としての体面もあって、これの改善策が検討されていた。旅館案内所の公共性と、案内人の資質改善について検討が行われ、幾多の変遷を経て湯本観光協会の建物の中に〝株式会社箱根観光旅館協会〟が新設された。
 当初この旅館協会は、旅行業法の適用を受ける公共の案内所として出発した。しかし、同会はその後設置目的にもとり、運営に種々の批判を含む問題が発生し、湯本温泉旅館組合との連帯感を失い、やがて湯本観光協会内部の紛争事件として発展、三か年にわたる内紛が続いた。そこで旅館組合は、この内紛を機に独自で組合指導による直営の案内所設置にふみきり、昭和五十一年三月に組合が出資金全額を負担して、〝株式会社箱根旅館案内センター〟を設立した。
 センターは旅行業法に定める法人団体として、正式に登録し、現在箱根湯本に営業所を置き、箱根全体の旅館ホテル利用者の利便を図っている。ちなみに同センター昭和五十九年度事業実績は、宿泊客数は大人一〇一八二人、小人八八〇人で、総売上額は一億三八六二万七〇〇〇円である。その紹介手数料収入は、一六七五万三四八六円となっている。

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