前述の仙石原炊事事業は修学旅行受入旅館を主体に、宮之下地区より上部の地域を対象とした共同事業であり、湯本福利施設事業は実質的には湯本旅館組合が運営する事業であったが、昭和五十年八月操業を開始したクリーニング事業は、協同組合が全組合員を対象として実施した共同事業である。
浴衣や敷布等を共同で洗濯し、経費の節減を図ろうとする目論見は有志の旅館の共同出資という形ですでに行われていた。湯本地区では昭和三十七年塔之沢に㈱箱根産業が設立され、上の地区では昭和三十八年㈱箱根サービス興業が宮之下に設立されて共に出資旅館のクリーニングを行っていたが、箱根産業は昭和四十二年に解散し、一方箱根サービス興業も季節による取扱量の変動が大きく、その経営は行きづまっていた。また一部の旅館では、すでにクリーニング業者とリース契約を結んでいたので、組合は本事業の開始に関しては特に慎重な検討を重ねた。
しかし、アンケート調査による、中小旅館からの強い要望に応えて、執行部が本事業計画を理事会に諮ったのは昭和四十八年十二月二十六日であった。本理事会においてクリーニング事業の実施と用地の取得が承認され、細部にわたる実施計画に関しては事業委員会(委員長 天野堯)と経営委員会(委員長 勝俣武夫)とから成る合同委員会が担当することを決定した。委員会においては本事業を直営事業とするか、あるいは委託事業とするかについてしばしば議論が交わされたが、低利の中小企業高度化資金と補助金の導入のためには直営事業とせざるを得ぬとの結論に達したのである。
工場用地の選定に当たっては、配送及び排水処理の便と自家用水の確保を条件に候補地を調査した結果、敷地内に豊富な地下水を湧出する木賀川向一三〇六の二面積一七二六㎡(実測面積一七六八㎡)を最適地とし、厚木市高橋政美より三四〇〇万円で譲り受けることを四十九年二月九日の理事会で決定した。
土地の買収費については、増資によるか、あるいは特別賦課金の増額によるか論議されたが、組合の財産取得に対しては、出資金を以ってこれに充てるべきであるとの執行部案が承認され、五十年度以降四か年にわたり四ランクの賦課金同額を年額として増資することを決定した。総額三五〇〇万円の増資及び合同委員会の作成した実施計画案は、四十九年五月二十九日開催の第二十四回通常総会において可決され、本事業の着工を同年十一月、事業開始を翌五十年四月一日と正式に決定した。
その後、水質汚濁防止法の改正(昭和四十九年十二月一日施行)に伴う排水規制が強化されたため排水処理施設の設置が必要となり、更に第一次石油ショック後の燃料確保や、建物その他諸設備の高騰に対処するため慎重に実施計画の再検討を重ねたので、建物の工事入札を行ったのは当初の計画より五か月遅れた五十年四月十二日であった。この間に組合員の利用率調査のためのアンケートやクリーニング業者との調整、また高度化資金借入れ並びに町補助金の申請を行っている。
つづいて五十年四月二十一日開催の理事会で総額一六、三一〇万円の工事契約が承認され直ちに工事に着手した。
建設費
建物(排水処理槽を含む)㈱勝俣組 四六、五〇〇千円
機械設備 アイナックス商事㈱ 九五、〇〇〇
汚水処理施設 日本建鉄㈱ 一四、一〇〇
井戸工事 ㈱湘山開発 二、〇〇〇
設計・管理 ㈱後藤寿昭建築設計事務所 四、〇〇〇
環境整備費 ㈱勝俣組 一、五〇〇
計 一六三、一〇〇千円
調達資金
補助金 箱根町 一〇、〇〇〇千円
借入金 県中小企業高度化資金 一〇四、九〇〇
商工中金横浜支店 二六、五〇〇
箱根信用金庫湯本支店 一八、六八〇
自己資金 三、〇二〇
計 一六三、一〇〇千円
クリーニング工場概要
土地 組合所有 木賀川向一、三〇六-二 一七六八㎡
建物 鉄骨ストレート葺平家建 四九七㎡
汚水処理施設 回分式活性汚泥方式 一基
機械設備 アメテイク・コントラーフロオシステム 一式
総合ロールアイロイナーYSS型 三台
HSK-一五〇型 二台
エアーコンプレッサーSMK-一五型 一基
結束機山田式四五型 二基
ボイラー石川島KMH-四型 一基
水井戸及び揚水設備 一式
クリーニング事業は当初の計画より四か月おくれて、五十年八月仮操業を始め、本格操業は九月に開始された。事業開始早々リネン材料費一、〇九〇万円、什器備品一四〇万円、工場運営費(一・五か月分)七七〇万円、計二、〇〇〇万円の運転資金を箱根信用金庫湯本支店より借入れている。
その後、事業委員会を中心に事業の運営に全力を傾注したが、競争の激しいクリーニング業界の渦中に巻き込まれ、加えて使用水質や仕上り技術に難点があったので、大型旅館が逐次他業者に移り、事業は次第に斜陽の途をたどった。
五十年度決算において一、八八三万円、五十一年度二、〇九五万円、五十二年度一、八六四万円、と欠損金が累積するに至った。
昭和五十三年に入ると執行部は組合員への損害を最小限に止めるべく、クリーニング事業の処理について細心の気配りをもって内部調整を行っていた。五月十三日開催の常務理事会に事業を継続すべきか、あるいは廃止を可とするかを諮ったが少人数ではあったが常務理事の中に継続を望む意見もあり、廃止を決定することはできなかった。しかし本事業を継続するためには高性能の三本ロール一、〇二五万円の設置が新たに必要であり、更には借入金返済のための資金繰りとして三年間クリーニング料金十五パーセントのアップ並びに特別賦課金を十円アップし、なおかつ現状の取扱量を確保することが必須条件であったから、最早事実上再建の道は鎖されていたのである。
昭和五十三年五月三十一日開催された第二十八回通常総会において岡田利男理事長は、
長期にわたる経済不況は政府の懸命の景気回復策にも拘らず、依然として低迷を続け、産業界は未
曽有の苦境の中に昭和五十二年度を経過いたしました。(中略)幸い組合員のご理解とご協力に支え
られて成果をあげてまいりましたが、一部クリーニング事業につきましては当初の計画を達成できな
かったことは甚だ遺憾であります。あらゆる角度から検討の上、経営分析し、早期解決を図りたい。
と述べ、苦しい事業運営の経過を説明している。
この間に執行部は廃止を前提として、東京リネン及び白洋舎に対して売却条件の折衝をつづけていたが両者が提示した金額は、東京リネン一億三、〇〇〇万円、白洋舎一億八、〇〇〇万円であった。クリーニング事業の廃止と白洋舎への売却は、同年六月二十日の緊急理事会において承認され、続いて六月二十七日観光会館において開催された臨時総会で、満場一致で正式に決定した。
売却条件は、土地、建物、設備、リネン材料他一式を一億八、〇〇〇万円とすること、組合は保証金として一、〇〇〇万円を白洋舎に預託し、組合員が可能な限り白洋舎を継続利用するよう努力すること、また、白洋舎は将来クリーニング及びリネン料金を改訂する際には予め組合と話し合うこと、さらに希望する従業員はこれを引続き雇用することであった。なお、本事業に関しては、秋山昌弘常任相談役の並々ならぬ尽力を忘れることはできない。また、町及び町議会に対し、本事業の経緯を説明するなど岡田理事長の心労も一方ならぬものであった。
組合は売却代金によって高度化資金をはじめとする借入金を完済したが、組合員の増資に見合う土地を失ったことは大きな損失であった。しかし、クリーニング料金の値上げ抑制の面では少なからぬ効果があったといえよう。
昭和五十四年五月三十一日開催の第二十九回通常総会において岡田理事長は、つぎのように述べている。
昨年来懸案となっていたクリーニング共同事業については経営上の諸問題をあらゆる角度から慎重に
検討を重ね、再建策について必死の努力を傾注したところ事業の継続を断念するのやむなきに至ったこ
とは遺憾であった。幸い事後処理については組合員各位の総力をあげてのご理解とご協力によって円満
に解決し、伝統ある組織を守り、団結を強化し、さらに前進するための教訓を得ることができた。