箱根の温泉旅館に高度経済成長による人手不足の波が押寄せて来たのは昭和三十年代前半頃からであるが、たまたま昭和三十三年九月二十六日の狩野川台風被害のため、北海道から中伊豆地区へ向かう季節従業員二〇名程が箱根で働くようになったのが季節労務の最初である。この年北海道からの就労者は七〇名であった。
組合の記録によれば昭和三十四年一月八日北海道出身就職者の集会が行われている。同年一月九日季節従業員集団募集要項作成につき打合せ(小田原公共職業安定所)とありこれ以前の記録は見当らないのでこの頃が季節従業員受入の始まりであろう。三十四年には北海道七名、東北三二名、三十五年には北海道より二八名が就労している。
その後労働省並びに県労働部の指導の下、箱根、湯河原の旅館組合員をもって組織する国立公園箱根湯河原観光旅館従業員受入協議会が昭和三十五年五月六日に設立され、会長に石村喜作(箱根)、副会長に伊藤鶴松(湯河原)、顧問に山崎博小田原職安所長が就任した。本協議会は、一般及び季節従業員の募集のために旅館組合労務委員会と協調しつつ北海道・東北方面に毎年役員と職員が職安職員をまじえて出張し雇用対策に努力している。
ちなみに昭和五十九年度箱根地区の季節就職者は男性九名、女性五十二名で、大部分の者が毎年就労している。箱根地区は主として利尻島、礼文島並びに秋田県在住者で、長期にわたり毎年就労する優良勤務者には神奈川県知事表彰等を行ってその労に報いている。