昭和四十年代に入ると福利厚生に関する施策は、時代の要請でもあり、また従業員雇用確保の条件として協同組合の重要な課題の一つとなった。従って時の福利厚生委員会(委員長川辺晹太郎)は、理事会の委託を受けて健康保険組合の設立について約二年間研究に当たったが、事務費を賄えるだけの組合員の数が確保できないであろうとの結論に達し、この計画は断念せざるを得なかった。
たまたま委員長の交替となった時点で、伊東温泉の小規模旅館従業員に対する共済制度についての情報提供があったので、委員会はその実態を調査し、伊東方式を一部修正して採用することにした。昭和三十七年より当組合が始めた政府管掌の健保と相俟って、組合員の全員が社会保険制度の恩恵に浴し、雇用の促進についても、基本的条件を満たそうとするものである。昭和五十二年六月三日箱根観光物産館において設立総会が開催され、石村菊次厚生委員長より経過報告があり満場一致で可決、箱根温泉旅館協同組合共済会として発足した。その内容は組合員の業務外疾病又は、傷害、分娩、死亡等の事例に対し、共済会が特別に定める付加給付を行って組合員の生計安定と福利増進を図るものである。そのために、①国保の自己負担の給付、②入院、休業見舞金の給付、③出産手当金の給付、④埋葬料の給付、⑤その他本会の目的達成に必要な行事を行うこととしている。
なお、本会の発足当時の人員は、五二名で、現在の加入者は、二三社、九六名である。又年間の事業費は昭和五十九年度決算において一、五二三、七二〇円を見ている。