温泉が治療に役だつことは大昔から良く知られていて、各地の古い温泉場の発見伝説として今に伝えられている。温泉の効用について「七湯の枝折」では、天孫降臨よりもっと古い出雲神話時代、大国主命が病に倒れた時、医療の神である宿名彦名命が温泉入浴によってその病を治して以来、温泉治療の例は数えきれないと述べている。
箱根の温泉治療として良く知られた伝説は、姥子温泉と足柄山の金太郎の話である。足柄山で山姥に育てられた金太郎が、ある時重い眼病になった。いろいろ手をつくしたが、少しもよくならず、山姥は心配して箱根権現に祈願した。満願の夜、夢枕に権現が現れて「神山の中腹に温泉がわき出している。その湯で目を洗ってやりなさい」とのお告げがあった。次の朝、山姥は金太郎をつれて神山に登り、温泉を発見した。赤褐色の岩の割れめから湧きでている温泉で金太郎の目を洗うと、さしもの重い眼病も数日で全快した。成人した金太郎は坂田金時と名乗り、平安中期、大江山の酒呑童子退治で武功をたてた。この伝説にちなんで、以後この温泉は姥子温泉と呼ばれ、眼病に効果があるといわれている。pH4の弱酸性硫酸塩泉が、ある種の眼病に効果があるのであろう。
湯本温泉は釈浄定坊によって発見されたと伝えられている。聖武帝の天平年間に関東で疱瘡が流行した。加賀白山の開創者泰澄の弟子浄定坊が関東に派遣され湯本においでになった。そこに御社を建て、白山権現を勧請され、修法をなさったところ、たちまち岩盤が裂けて温泉が湧出した。この温泉に入浴すると、疱瘡はことごとく治った。これが湯本温泉の始まりと言われている。
芦之湯は江戸時代に刊行された「諸国温泉効能鑑」の番付で、前頭筆頭に位置づけられている。硫黄泉の殺菌作用、皮膚病への効果などが経験的に認められていたことによるのであろう。
「七湯の枝折」には宮之下、木賀、底倉の温泉が痔病に特効があり、多数の患者が恩恵を受けた様子が詳しく書かれている。当時この付近の温泉活動は今より活発であったので、各所から温泉とともに水蒸気が噴出していた。穴を開けた腰掛けを水蒸気の噴出孔の上に置き、患部を下から暖め治療する装置が考案されていた。温泉による治療とお灸による治療とを組み合わせると特に効果があった。治療の際、何の準備もなしにいきなり装置のうえに腰をおろすと、強い水蒸気が患部を直撃し、やけどをするので、装置の穴のまわりを手ぬぐいで縁どり、注意することなどが述べられている。