温泉の医療効果を物理的効果と化学的効果に大別する。
物理的効果は入浴したとき、体が温められ(温熱効果)、身体を取り囲む湯の静水圧、アルキメデスの法則による浮力の作用など泉質の差異に無関係な要因である。
人間は体温が三六~三七度Cの定温動物である。体温より数度も高い湯に入浴すると、体温を一定に保つため心臓は激しく動いて血液をドンドン送り、汗を激しく流出させて体内の熱を排出させる。落語の「がまん湯」に出て来る職人が、早朝熱い湯に入り、ゆで蛸のように赤くなって「ぬるい湯でしょうがねえな」とがんばって、勢いをつけて仕事に出かけるには熱い湯がよい。しかし、寝るまえに熱い湯にはいり、興奮して「何とも良く寝られないね」となるのは、入浴温度の選定をあやまった結果で、ほんとはぬるま湯にゆったりとつかり、緊張をほぐすべきなのである。
体温より低い水に入ると、失われる体温を補うために体内糖類を燃焼させ、血流を速め、皮膚からの放熱を抑えるために毛孔を閉じるなどの反応を示す。いずれにしても、心臓は活発に働き、身体は興奮状態を示す。体温に近い温度を不感温度と呼ぶが、微温湯では身体はリラックスし、緊張は解かれ、新陳代謝が促進されて、疲労回復がすすむ。水中に入ると浮力のため体重は九分の一に軽くなることを利用して、骨折治療後の機能回復、脳卒中による運動障害の治療に温泉が最適であることは良く知られていることである。いずれにしても、温度のさまざまな効果をうまく組み合わせて、温泉入浴の効果を高めることが肝要である。
化学的効果は入浴よりも温泉を飲用したときに重要になる。ぼう硝(硫酸ナトリウム)、石膏(硫酸カルシウム)などの硫酸塩類は便秘の良薬として古くから用いられている。ヨーロッパなどの大陸に住む人々はこのような成分に富むミネラル・ウォーターを愛飲している。硫酸塩に富むミネラル・ウォーターを飲みなれない日本人が外国で「飲み水が悪いので下痢を起こした」と言う話を良く聞くが、それは飲み水の知識が日本流に偏り過ぎていることによる場合が多い。野菜のような繊維の多い食物を取らないと、便秘になりやすい。そのような時には、硫酸塩に富むミネラル・ウォーターの果たす役割は大きい。
芦之湯が江戸時代に人気があったのは硫黄泉の泉質にあったものと考えられる。硫化水素やコロイド状硫黄は強い殺菌作用、角質溶解作用があり、皮膚病に対する治療効果が大きい。硫黄は重金属と結合して不溶性の硫化物をつくる。その性質を利用して、硫黄泉は重金属中毒の治療に使われることがある。また腸運動の活性化作用を持つ。
ある時、日本の温泉に強い関心を持っていた科学者からこんな質問を受けた。
「日本人は温泉の効用について深い知識と、長い経験を持っています。いろいろな泉質があり、それに対応する適応症が示されていますね。我々はミネラル・ウォーターとして、それらを飲み分けています。日本では温泉は主に入浴に使われているようです。多種類の温泉の泉質ごとに入り分け、その効能を区別する日本人の肌の感覚は特別な鋭さを持つのでしょうね。それを知りたいです。」
舌で泉質の区別は少しはできるが、指先を水にさしこんで、泉質の区別は、強い酸性泉を除くと、ほとんどできない。
江戸時代には盛んに行われていた温泉を利用しての治療効果に関する研究は、現在、二、三の医療施設を除くと、箱根ではほとんど行われていない。今後、この方面での発展を期待したい。
温泉に含まれる成分の医療効果については、これまでに多数の研究があり、それらの説明は専門書にゆずる。