明治時代、国道一号線と、宮之下から仙石原を経て御殿場に通じる二号国道(現国道一三八号線、明治四十五年・一九一二・開通)と二つの幹線道路が開通したが、いずれも自然破壊は少なく線に止まった。また開発も部分的でそれは点と称する程度のものであったので、当然のことながら自然破壊や自然保護という概念は一般には生まれていなかった。
旅館やホテルの経営者は古来変わらざる雄大で美しい箱根の景観を誇りにし、詩人は万丈の山千仞の谷と唱い、箱根の山は天下の険として内外の観光客を招き、かつ親しまれていた。
地元の人たちはこの箱根の自然美を貴重なものとして全面的に大切にしてきたわけである。
【点、線の破壊、面の保護】
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