こうして箱根の自然保護に関する行政の第一歩が誌されたが、歴史は転換し、戦争末期になるとガソリン不足のため代用燃料のバスやトラックが開発された。
仙石原や箱根・元箱根は、小田原からのバスの運行を確保するために燃料の薪や木炭を供出しなければならなかった。そのため、山腹のカエデ、シデ、ヒメシャラ、ヤマボウシ、ヤマザクラ、ブナ等が次々と伐採された。人力で伐採し、運搬するため、大木は残され、直径三十数センチ以内位のものがバタバタと倒された。小塚山も燃料伐採の対象地区とされ、かつての紅葉の名所の栄光は木炭バスの排気となって消えてしまった。
【破壊への口火】
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