箱根七湯から十二湯へ、箱根温泉が大きく発展していくなかで、江戸時代から続いた湯宿も激しい歴史の荒波の中で、多くが歴史の彼方へ去っていった。本節では、江戸時代から屋号とともに家系を今日まで維持する歴史の湯宿をとりあげ、その歴史を追ってみたい。
天保十三年(一八四二)の「箱根七湯図」には、三〇軒の湯宿が載っている。
(湯本) 福住九蔵、小川萬右衛門
(塔之沢)元湯甚五兵衛、一ノ湯沢右衛門、藤屋喜八、田村兵蔵、田村久兵蔵、福住喜平冶
(堂ヶ島)奈良屋六郎兵衛、江戸家与惣冶、丸屋孫兵衛、大和屋太郎左衛門、近江屋半兵衛
(宮之下)奈良屋兵冶、藤屋勘右衛門、伊勢屋八右衛門、吉田屋勘兵衛
(底倉) 萬屋孫左衛門、梅屋又左衛門、蔦屋平左衛門、仙石屋丈助
(木賀) 仙石屋七兵衛、松坂屋寿兵冶、亀屋新太郎
(芦之湯)亀屋兵蔵、伊勢屋清左衛門、吉田屋平兵衛、松坂屋萬右衛門、紀国屋忠右衛門、
大黒屋金左衛門
この内、屋号とともに家系を今日まで維持する宿は湯本福住、塔之沢一の湯、新玉(旧湯本小川)、宮之下奈良屋、芦之湯紀伊国屋、松坂屋の六軒であり、湯宿経営がいかに厳しいものか痛感する。これら湯宿の歴史は箱根温泉史そのものでもあり、詳述すれば興味深い史実も多く紹介されようが、湯宿によっては、史料を完全に失っている場合もあり、残念ながらすべての湯宿を「歴史の宿」として登場させることができない。幸い史料もいくつか残されている湯宿のみを取りあげ、箱根の歴史とともに歩んだその足跡をしょうかいしてみよう。
【歴史の宿―伝統の系譜―】
カテゴリー: 6.歴史の宿―伝統の系譜― パーマリンク