このようにして生まれた箱根温泉宿組合は、二四条より成る規約と、三〇条からの規定を作成した(全文は第七章参照)。この規約を見ると、組合員の相互補助をうたいつつも、激化する営業競争のなかで、ともすれば乱れがちな箱根温泉の秩序を組合員の自己規制により守って行こうとする姿がうかがわれる。これは前述した江戸時代天保十四年(一八四三)に箱根七湯の湯宿主が集まって作成した営業協定の系譜につながるものである。規定第十四「宿引ヲ差出シ又ハ途中ニ於テ旅客ノ通行ヲ見掛ケ強テ屋内ニ引入ルルノ所業ナスヘカラス」とか、第十五「車夫、駕籠人足休茶屋ヘ金銭ヲ給与シ自家ニ旅客ヲ招引スルノ策ヲナスヘカラス」などなどの規定は、天保の営業協定と同一内容のものである。そしてこれらの規定に違背したものの処分として、規約第二十二条において「金参円以上五十円以下ノ違約金ヲ徴収シ、又ハ営業上ノ取引ヲ拒絶スル事アルヘシ」として厳しい違約処分を課していることも注目される。
組合の運営は書記ヲ除く外を名誉職とし、正副行事一名、委員四名、書記一名によって行われ、初代行事には宮之下の奈良屋安藤兵冶、副行事には松坂万右衛門が就任、組合事務所はその行事宅に置かれた。
【組合の規約】
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