昭和に入ると新しい宿泊形態としてジャパン・ツーリスト・ビュウロー(日本交通公社の前身)のクーポンが普及しはじめてきた。大正十四年(一九二五)に発足したこのクーポン制度に加入した箱根温泉の旅館とその宿泊料は次のとおりであった。
第イ級 宿泊料金七円 昼食三円
湯本福住 環翠楼 福住楼 一ノ湯 奈良屋 三河屋
第ロ級 宿泊料金六円 昼食二円五十銭
小川旅館 新玉ノ湯 梅屋 蔦屋
第ハ級 宿泊料金五円 昼食二円
住吉 大和館 松坂屋 紀伊国屋 仙郷楼 俵石閣
第ニ級 宿泊料金四円 昼食一円五十銭
大和屋 対星館 宮内 観光 一福 倉田
このクーポン制度の普及は、旅館に常連客以外の客を安定的に保証するというメリットがあった。特に冬季、客の減少する山頂部の温泉地では、このクーポン制度を利用する来客の増加を期待した。しかし一方ではこの制度の普及は、宿泊旅館のランク付、旅館料金の固定化をもたらし、旅館営業に対するこのような旅行社あるいは交通機関の干渉が強まる方向へと進んでいった。
昭和七年(一九三二)からはジャパン・ツーリスト・ビュウロー指定の全国旅館に対する「単独旅館券」の発売が実施され、旅館の宿泊料金の固定化は更に進んだ。